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北ア・薬師岳 折立からテン泊を電車バスで [北ア・薬師岳]
黒部周辺の山々は山深いだけあって2泊や3泊はざらにかかります。このうえ薬師岳に登るとさらに一日…。薬師岳をどう登るか?いろいろ考えましたが、週末に薬師岳でシンプルにピストンすることにしました。
今回も自家用車が使えませんので公共交通機関でのアプローチとなります。木曜の夕方に金曜の夜行バスと土曜の富山発早朝バスのキャンセルが出て、すばやく予約します。ここが一番の核心だったかもしれません。予定では一日目に折立から薬師岳の山頂に立って太郎平のキャンプ場で一泊し、翌日ゆっくり下山して12時半の地鉄バスで富山へ戻るというものです。
折立には午前8時半ごろに到着しました。学生の時以来ですからほぼ40年ぶりの再訪ですが、変わったような変わらないような。こんなきれいなキャンプ場があったかな?
用意をして樹林帯の中の山道をずんずん登っていきます。1時間ほど歩くと尾根上に上がり「アラレちゃん展望台」。なぜアラレちゃんなのか、はてな?
ここからは緩やかな尾根をどんどん進んでいくことができます。石畳の道がはるか遠くまで続いているのを見ると「折立の道だなー」という気になります。
振り返ると有峰湖がだいぶ下に見えました。
道の両側には高山植物の保護のためにネットが張られ保護がなされています。あらためて写真を見てますと道の両側に草が生えない部分が両サイドにありますが、これがそうです。保護とその再生は時間がかかりますが、破壊はあっという間だったのでしょう。
オーバーツーリズムは外国人とかいまに始まったものではないのですな。
稜線上にはガスがかかっていて頂上を見ることはできないので、黙々と登っていきますと、チングルマが種が道のわきに咲き乱れていました。写真をとっていますと、ほかの方も「すごいですね」と喜んでおりました。
太郎平小屋には11時50分ごろに着きました。いいペースです。この分だと今日中に頂上に立てそうです。
お昼時とあってたくさんの方がご飯を食べたり休憩したりしています。(自分ひとりが)先を急いでいるのでテント泊(1,500円)の手続きを済ませ、薬師峠のキャンプ場へ。
すでに多くのテントが張られています。現地に行くと「意外と平地が少ないな」と思いましたが、手早くテントを張って、雨具と水分と行動食をもって12時半に薬師岳へ向けて出発します。
最初は樹林の中を沢沿いに登ります。帰りにここの水を飲んだら、冷たくて最高においしかったです。
枯れた沢状のところから薬師平に上がり、広大なカールを望むところに来ると、もうお花畑が真っ盛りです。
ウサギギク
ミヤマリンドウ
ハクサンフウロ
チングルマの白い花がここでは咲き乱れていて、ハクサンイチゲやハクサンフウロが華を添えます。ここのところ東北の焼石岳に行ったりして目が肥えているはずですが、花を目の前にすると気持ちがグンとあがってしまって写真を撮りまくりました。
この頃になるとガスが晴れたり曇ったりを繰り返しています。ガスの切れ間に稜線上の小さな小屋のようなものが見えます。右手に延びているのは愛知大学山岳部が大量遭難した東南稜でしょう。
京大元山岳部で朝日新聞記者だった本多勝一氏がヘリコプターで現地入りし、「太郎小屋に生存者なし」をスクープした遭難です。薬師岳小屋からこの避難小屋までのザレ場が足場が悪く一番めげそうになりましたが、時間にすれば20〜30分です。
稜線上に立つと薬師岳のカールの向こうに黒部の山々、後立山、裏銀座の山々が見えます。
何度も言いますがこの辺の山は日数がかかります。通好みでは赤牛の読売新道なんて行けたら充実するだろうな。黒部の上の廊下も途中敗退で課題としたままだし。沢を登っている頃は「ピークなんてどうでもいい」なんて思っていたけれど、それは「いつでも登れるから」だったのだ。この年になると「今を逃すと登れない」の焦りにも似た思いに駆り立てられる(笑)。
頂上へは「まだ遠いな」と思いましたが、20分ほどで着くことができました。
頂上ではイワヒバリが近くまで寄ってきてくれました。
時刻は14時半です。コースタイム通りだと16時過ぎに到着予定でしたのでもう大丈夫。行動食に持ってきたボロボロに砕けた「ムーンライト」を食べて人心地つくと「さあ下山だ」
キャンプ場には16時過ぎに到着し、ビールを購入(800円)してひとり乾杯。柿の種をあてに、景色を見ながらゆっくり飲みます。持参した焼酎になって、カレーとオニオンスープを食して食事終了。
水が豊富でトイレもきれいで言うことなしです。こんなところだったっけ?
夜はラジオをつけてみたら、大阪の毎日放送が受信でき、しばらく野球を聞いて眠りにつきました。ラジオもFM化が進み、AM波が停波することになると、大阪のラジオ局を信州で聞くということはできなくなるでしょうね。
翌日は12時半のバスに乗るだけなので、二度寝したり、お茶を2回も沸かしたりして、自分史上覚えのないくらいのゆっくり出発で6時半に出て太郎山に登り、ゆっくり下山して、途中で剱岳を見て「オー」と声を出して「しばらく行ってないなー」なんて生意気な感想を思い、それでも10時40分ほどには折立に着いてしまいました。あとはテントを干したりして時間をつぶしました。
自動販売機があってペットボトルの飲料水がよく売れていましたが、ゴミ箱はクマが寄り付かないように最近撤去されたそうです。クマと人間のせめぎ合いがここでも繰り広げられていますね。
太郎平や折立に初めて来たのは大学1年の合宿終了後の沢登りでした。室堂から五色が原を越えて平の渡しから奥黒部ヒュッテへ渡り、東沢を詰めあがって黒部の源流に降りて赤木沢を登って北の股岳経由で折立に下山したのです。
あれから40年近く。2週間前の蝶ヶ岳もそうでしたが、北アルプスへ来るとどこかしら過去の自分と向き合う場面があります。今もこうして登っているとは思わなかったでしょうね。
もし伝えることができたら嫌な顔をしそうな気がしますけど(笑)
■北アルプス・薬師岳 2024/8/3-4
1.折立(8:35/11/50)太郎平小屋(11:55/12:10)薬師峠キャンプ場(12:30/14:25)薬師岳(14:40/16:05)キャンプ場
2.キャンプ場(6:35/10:40)折立
今回も自家用車が使えませんので公共交通機関でのアプローチとなります。木曜の夕方に金曜の夜行バスと土曜の富山発早朝バスのキャンセルが出て、すばやく予約します。ここが一番の核心だったかもしれません。予定では一日目に折立から薬師岳の山頂に立って太郎平のキャンプ場で一泊し、翌日ゆっくり下山して12時半の地鉄バスで富山へ戻るというものです。
折立には午前8時半ごろに到着しました。学生の時以来ですからほぼ40年ぶりの再訪ですが、変わったような変わらないような。こんなきれいなキャンプ場があったかな?
用意をして樹林帯の中の山道をずんずん登っていきます。1時間ほど歩くと尾根上に上がり「アラレちゃん展望台」。なぜアラレちゃんなのか、はてな?
ここからは緩やかな尾根をどんどん進んでいくことができます。石畳の道がはるか遠くまで続いているのを見ると「折立の道だなー」という気になります。
振り返ると有峰湖がだいぶ下に見えました。
道の両側には高山植物の保護のためにネットが張られ保護がなされています。あらためて写真を見てますと道の両側に草が生えない部分が両サイドにありますが、これがそうです。保護とその再生は時間がかかりますが、破壊はあっという間だったのでしょう。
オーバーツーリズムは外国人とかいまに始まったものではないのですな。
稜線上にはガスがかかっていて頂上を見ることはできないので、黙々と登っていきますと、チングルマが種が道のわきに咲き乱れていました。写真をとっていますと、ほかの方も「すごいですね」と喜んでおりました。
太郎平小屋には11時50分ごろに着きました。いいペースです。この分だと今日中に頂上に立てそうです。
お昼時とあってたくさんの方がご飯を食べたり休憩したりしています。(自分ひとりが)先を急いでいるのでテント泊(1,500円)の手続きを済ませ、薬師峠のキャンプ場へ。
すでに多くのテントが張られています。現地に行くと「意外と平地が少ないな」と思いましたが、手早くテントを張って、雨具と水分と行動食をもって12時半に薬師岳へ向けて出発します。
最初は樹林の中を沢沿いに登ります。帰りにここの水を飲んだら、冷たくて最高においしかったです。
枯れた沢状のところから薬師平に上がり、広大なカールを望むところに来ると、もうお花畑が真っ盛りです。
ウサギギク
ミヤマリンドウ
ハクサンフウロ
チングルマの白い花がここでは咲き乱れていて、ハクサンイチゲやハクサンフウロが華を添えます。ここのところ東北の焼石岳に行ったりして目が肥えているはずですが、花を目の前にすると気持ちがグンとあがってしまって写真を撮りまくりました。
この頃になるとガスが晴れたり曇ったりを繰り返しています。ガスの切れ間に稜線上の小さな小屋のようなものが見えます。右手に延びているのは愛知大学山岳部が大量遭難した東南稜でしょう。
京大元山岳部で朝日新聞記者だった本多勝一氏がヘリコプターで現地入りし、「太郎小屋に生存者なし」をスクープした遭難です。薬師岳小屋からこの避難小屋までのザレ場が足場が悪く一番めげそうになりましたが、時間にすれば20〜30分です。
稜線上に立つと薬師岳のカールの向こうに黒部の山々、後立山、裏銀座の山々が見えます。
何度も言いますがこの辺の山は日数がかかります。通好みでは赤牛の読売新道なんて行けたら充実するだろうな。黒部の上の廊下も途中敗退で課題としたままだし。沢を登っている頃は「ピークなんてどうでもいい」なんて思っていたけれど、それは「いつでも登れるから」だったのだ。この年になると「今を逃すと登れない」の焦りにも似た思いに駆り立てられる(笑)。
頂上へは「まだ遠いな」と思いましたが、20分ほどで着くことができました。
頂上ではイワヒバリが近くまで寄ってきてくれました。
時刻は14時半です。コースタイム通りだと16時過ぎに到着予定でしたのでもう大丈夫。行動食に持ってきたボロボロに砕けた「ムーンライト」を食べて人心地つくと「さあ下山だ」
キャンプ場には16時過ぎに到着し、ビールを購入(800円)してひとり乾杯。柿の種をあてに、景色を見ながらゆっくり飲みます。持参した焼酎になって、カレーとオニオンスープを食して食事終了。
水が豊富でトイレもきれいで言うことなしです。こんなところだったっけ?
夜はラジオをつけてみたら、大阪の毎日放送が受信でき、しばらく野球を聞いて眠りにつきました。ラジオもFM化が進み、AM波が停波することになると、大阪のラジオ局を信州で聞くということはできなくなるでしょうね。
翌日は12時半のバスに乗るだけなので、二度寝したり、お茶を2回も沸かしたりして、自分史上覚えのないくらいのゆっくり出発で6時半に出て太郎山に登り、ゆっくり下山して、途中で剱岳を見て「オー」と声を出して「しばらく行ってないなー」なんて生意気な感想を思い、それでも10時40分ほどには折立に着いてしまいました。あとはテントを干したりして時間をつぶしました。
自動販売機があってペットボトルの飲料水がよく売れていましたが、ゴミ箱はクマが寄り付かないように最近撤去されたそうです。クマと人間のせめぎ合いがここでも繰り広げられていますね。
太郎平や折立に初めて来たのは大学1年の合宿終了後の沢登りでした。室堂から五色が原を越えて平の渡しから奥黒部ヒュッテへ渡り、東沢を詰めあがって黒部の源流に降りて赤木沢を登って北の股岳経由で折立に下山したのです。
あれから40年近く。2週間前の蝶ヶ岳もそうでしたが、北アルプスへ来るとどこかしら過去の自分と向き合う場面があります。今もこうして登っているとは思わなかったでしょうね。
もし伝えることができたら嫌な顔をしそうな気がしますけど(笑)
■北アルプス・薬師岳 2024/8/3-4
1.折立(8:35/11/50)太郎平小屋(11:55/12:10)薬師峠キャンプ場(12:30/14:25)薬師岳(14:40/16:05)キャンプ場
2.キャンプ場(6:35/10:40)折立
K2西壁の救助打ち切り [クライミングを復活させたい]
K2西壁に挑戦していた平出和也、中島健郎ペアが滑落したとの一報が入ったのは7/27(土)でした。
「2人は確認できるがヘリで救助できない」との状況から、その時点から「厳しいな」と思っていました。そうしていたところバックアップしているICI石井スポーツがに「捜索打ち切り」を公式に発表しました。
まだ未知らないところを求めて高みへ高みへと挑戦するクライマー。それをまたしても退けた高峰K2。
あのレベルのクライミングをやっていたら「死」はいつも目前にあっただろう。
でも挑戦を諦められなかった。
自分に正直に生き抜いたんだと思いたい。
ご冥福をお祈りします。
■これまでの二人の映像作品を見てのブログなど関連エントリー
NHK「もう一度、あの高みへ 登山家・平出和也 再起をかけた挑戦」
情熱大陸「平出和也」来年狙うK2の未踏ルート
平出、中島ペアの「シスパーレ」がピオレ・ドールを受賞したのですね
BSのシスパーレ北東壁 ここまで来たか!クライマーの映像
「2人は確認できるがヘリで救助できない」との状況から、その時点から「厳しいな」と思っていました。そうしていたところバックアップしているICI石井スポーツがに「捜索打ち切り」を公式に発表しました。
まだ未知らないところを求めて高みへ高みへと挑戦するクライマー。それをまたしても退けた高峰K2。
あのレベルのクライミングをやっていたら「死」はいつも目前にあっただろう。
でも挑戦を諦められなかった。
自分に正直に生き抜いたんだと思いたい。
ご冥福をお祈りします。
■これまでの二人の映像作品を見てのブログなど関連エントリー
NHK「もう一度、あの高みへ 登山家・平出和也 再起をかけた挑戦」
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平出、中島ペアの「シスパーレ」がピオレ・ドールを受賞したのですね
BSのシスパーレ北東壁 ここまで来たか!クライマーの映像
北ア・常念岳から蝶ヶ岳〜上高地まで [北ア・常念岳から蝶ヶ岳〜上高地まで]
夏が近づくと、アルプスの乾いた空気を吸いたくなります。そこでずっと頭の中にあるものの実行できなかった北アルプスの常念岳へ行くことにします。せっかくなので常念岳から蝶が岳へ縦走して上高地へ下山するプランとしました。
(家の者が使うということで)自家用車は使えず公共交通機関でアプローチです。
JR大糸線の穂高駅に着くと多くの人が下車するので、「あいのり」に一瞬期待が高まりますが、皆さんはツアーのようでマイクロバスに乗り込んでしまいました。残った私は一人でタクシーに。
タクシーの運転手さんによると「コロナで小屋の予約制が始まって、お客さんの絶対数が少なくなった」「天気は山頂がガスで見えない日が続いていて、この日も午前中に激しく降った」とのこと。常念岳のことを「三角さん」と呼び、「格好いいですよ」と自慢していました。(この人は絶対山に登ってるな)と思いました。
一の沢の駐車場は時間が遅いからか、数台分の空きが見えましたが、路上駐車も数台あることから、やっぱり朝は相当混むようです。タクシーは駐車場上の一の沢登山補導所まで上がることができました。6,100円でした。準備をして11時20分に出発。
山の神をすぎ、やがて一の沢沿いの道となりました。ドゥーッ、ドゥーッと大きな音をたてて流れ落ちていきます。これだけでも大きな山に来たという感じがします。
据え付けられた丸太橋で沢をいくつか渡っていきますと、沢の突き当りのところから右手に木製の階段が空に向かって伸びています。「胸突き八丁」の始まりです。
この辺り息が切れるところですが、高山植物が目を楽しませてくれます。それに第2ベンチではオコジョがちょこちょこ顔を出すのを見ることができました。初めて見ました。こんなに小さかったのですね。動画はもう少しお待ちください。
ヤマガラシ
ヤマハハコ
オトギリソウ
第2ベンチで「あと500メートル」、第3ベンチで「あと300メートル」の標識があって、励まされました。「そんな早く着くかなあ」と警戒しながら歩いていますと、本当に常念乗越につくことができました。予定より早いペースです。
頂上アタックを済ませた方々が次々と下りてきます。私はというと、今日はゆっくりすることにしました。明日の方が天気が良いと踏んだのです。少し横通岳側に上がり常念岳の写真を撮りました。これは行きの運転手さんに教えてもらった撮影ポイントなのですが、本当はもう少し頑張って登るのでしょうね。下の写真では頂上が写っているかどうか微妙です。
晩ご飯は尾西の「ドライカレー」とアマノフーズの「チーズ・リゾット」です。どっちも美味しかったな。焼酎は小さい紙パックを一つ持って行ったのですが、全然酔わなかった。単なる水分として補給しているように感じます。
水は胸突き八丁手前の「最後の水場」で2.5リットル汲みました。小屋では1リットル200円で売っていましたが、なんとか手持ちのぶんでやりくりすることにします。
常念といえば槍穂の展望が有名です。乗越についたときはガスっていましたが、夕方になるにつれて槍ヶ岳の大槍が姿を現しました。
小屋泊の方々も夕暮れを眺めにそぞろ出て来て写真を撮りあっています。
あの稜線で行っていないのは大キレットなんだよなあ。行くなら大縦走でやってみたいけど…
夕暮れの景色を楽しんでいたら19時をすぎていて就寝します。数時間おきに目覚めますが、その都度寝れました。夜半からは風が吹いてテントを揺らしましたが、それも大したことありません。
3時に起きてパンとコーヒーを飲んで4時に出発します。情念の斜面にはいくつもヘッドランプの光が見えました。ご来光目当ての人たちでしょう。
三股への分岐まで上がったところでご来光となりました。頂上はもうすぐです。
よく写真で見ていた頂上の祠。向こうに涸沢を囲むようにそびえている穂高連峰が見えます。雲が切れて穂高が見えたのはこの時間帯だけでした。
さてここから蝶ヶ岳です。行く手の稜線を見下ろしますと、ザレ場っぽい稜線が下まで続いています。実際には滑って転ぶようなことはありませんでした。思ったより岩がしっかりしていて浮石が少ない印象でした。
少し下がって常念岳を見上げると、なかなか立派だわ〜。男前です。
イワギキョウ
ザレ場を苦労して下って鞍部に着くと途端に樹林帯の中に突入です。湿った空気となりました。ぬかるみも多いものの、石づたいに歩いたりして浸水は避けられました。
2,592峰へ来てみるとここが高山植物のお花畑が点在するよきところでした。花の密集度は高いと思いました。ニッコウキスゲやコバイケイソウ、ハクサンフウロやマルバタケブキなど豊富で写真を撮りまくりました。
この頃になると蝶ヶ岳からの登山者とすれ違うようになったのですが、みなさん笑顔です。きっとお花のおかげかな〜。
ハクサンフウロ
テガタチドリ(AI判定による)
シロバナグンナイフウロ
2,592m峰から一旦下りて150mくらい登り切ると蝶槍です。蝶槍には山岳パトロールの方がいました。「常念からの登山者が意外と少ないが他にいました?」と聞かれ「先行者で一人くらいいるように見えましたが」など会話します。
甲信越は梅雨明けしたものの「北アルプス南部は北陸の影響を受けるから、北陸が梅雨明けしないとカラッとした天気にはならない」とのことでした。この日は槍穂、岳沢、常念〜大天井の3パーティでパトロールしているとのこと。ご苦労様です。
そこからは、いわゆる「蝶」という感じの稜線です。二重稜線はいい感じ。ライチョウが「ゲ、ゲー」と鳴いています。姿は見えなかったけれど元気そうです。本来は右手に槍穂の展望を見ながらの稜線散歩でしょうから、これは最高ですね。
蝶ヶ岳は高校2年の時に山岳部の仲間と登って以来、40年ぶりです。まだ登っているなんて不思議な気分です。あの時の仲間にもまた会いたいもんです。
蝶ヶ岳の三角点は蝶槍近くにあるようなのですが、なんででしょうね?経緯があるのですかね?
頂上で行動食をとってさっさと下山。昨日常念小屋でテント泊の受付をするときに2日目の行程を記入して渡すと「なかなかの頑張りですね。エスケープも頭に入れてくださいね」と言われたのが頭にあって、「油断してはいけない」と自省する気分なのです。
頂上から少し下がったところに、ここにも小さい二重稜線のところがあって、ハクサンイチゲがたくさん咲いていました。女性3人組がなにやら顔を付き合わせているので聞いてみると、クロユリがありました。なかなか出会うことができない花です。
そこからは長塀尾根を延々下っていきます。高校2年の時に「こんな登りやすい道があるのか」と感動したのですが、下りはともかく登りはやっぱり長くてしんどいと思うのですが、やっぱり若かったのでしょう。ぴょんぴょん登っていたのだと思います
11時に徳沢に到着。コースタイムでは12時半の予定だったと思うのでこれも予定より早いペース。ぴょんぴょんとは行かず、ドタバタ汗だくおっさんですが、十分でしょう。
ここのキャンプ場はいつ来ても気持ちいいですね。いつも「今度はゆっくりキャンプに」と思うのですが、せっかちでもったいながりな性格なので、実現できていません。
そこからいつもの上高地への道を歩いていたのですが、明神小屋から先は通行止めとなっていて右岸沿いの遊歩道を観光客に混じって急ぎます。
やっぱり外国人の方が多く河童橋は最高に人が多かったですし、梓川沿いに皆さん腰掛けている風は、京都の鴨川かと思いました(笑)
バスターミナルに行って13時20分発の新島々行きバスに乗ります。新島々で着替えた後、コカコーラをがぶ飲みします。うまい!
松本に着いて、駅近くの洋食店「どんぐり」へ行って、ハンバーグ定食と生ビールを飲んで、無事下山のひとりお疲れさん会です。美味しかったです。
やっぱり旅として山に登るのが楽しいですね。
さて私3年間の東京単身赴任を終えて7月初旬に大阪に戻って来ました。東京はありえないアクセスの良さで山を存分に登ることができました。いつか総括したいと思っていますが、とりあえず環境が変わったので、ご報告しておきます。今後ともよろしくお願いします。
■北アルプス・常念〜蝶ヶ岳〜上高地 2024/7/20~21
1 一の沢(11:20/15:00)常念乗越
2 常念乗越(4:00/5:00)常念岳(5:05/8:05)蝶ヶ岳(8:20/10:55)徳沢(11:00/12:50)上高地バスターミナル
(家の者が使うということで)自家用車は使えず公共交通機関でアプローチです。
JR大糸線の穂高駅に着くと多くの人が下車するので、「あいのり」に一瞬期待が高まりますが、皆さんはツアーのようでマイクロバスに乗り込んでしまいました。残った私は一人でタクシーに。
タクシーの運転手さんによると「コロナで小屋の予約制が始まって、お客さんの絶対数が少なくなった」「天気は山頂がガスで見えない日が続いていて、この日も午前中に激しく降った」とのこと。常念岳のことを「三角さん」と呼び、「格好いいですよ」と自慢していました。(この人は絶対山に登ってるな)と思いました。
一の沢の駐車場は時間が遅いからか、数台分の空きが見えましたが、路上駐車も数台あることから、やっぱり朝は相当混むようです。タクシーは駐車場上の一の沢登山補導所まで上がることができました。6,100円でした。準備をして11時20分に出発。
山の神をすぎ、やがて一の沢沿いの道となりました。ドゥーッ、ドゥーッと大きな音をたてて流れ落ちていきます。これだけでも大きな山に来たという感じがします。
据え付けられた丸太橋で沢をいくつか渡っていきますと、沢の突き当りのところから右手に木製の階段が空に向かって伸びています。「胸突き八丁」の始まりです。
この辺り息が切れるところですが、高山植物が目を楽しませてくれます。それに第2ベンチではオコジョがちょこちょこ顔を出すのを見ることができました。初めて見ました。こんなに小さかったのですね。動画はもう少しお待ちください。
ヤマガラシ
ヤマハハコ
オトギリソウ
第2ベンチで「あと500メートル」、第3ベンチで「あと300メートル」の標識があって、励まされました。「そんな早く着くかなあ」と警戒しながら歩いていますと、本当に常念乗越につくことができました。予定より早いペースです。
頂上アタックを済ませた方々が次々と下りてきます。私はというと、今日はゆっくりすることにしました。明日の方が天気が良いと踏んだのです。少し横通岳側に上がり常念岳の写真を撮りました。これは行きの運転手さんに教えてもらった撮影ポイントなのですが、本当はもう少し頑張って登るのでしょうね。下の写真では頂上が写っているかどうか微妙です。
晩ご飯は尾西の「ドライカレー」とアマノフーズの「チーズ・リゾット」です。どっちも美味しかったな。焼酎は小さい紙パックを一つ持って行ったのですが、全然酔わなかった。単なる水分として補給しているように感じます。
水は胸突き八丁手前の「最後の水場」で2.5リットル汲みました。小屋では1リットル200円で売っていましたが、なんとか手持ちのぶんでやりくりすることにします。
常念といえば槍穂の展望が有名です。乗越についたときはガスっていましたが、夕方になるにつれて槍ヶ岳の大槍が姿を現しました。
小屋泊の方々も夕暮れを眺めにそぞろ出て来て写真を撮りあっています。
あの稜線で行っていないのは大キレットなんだよなあ。行くなら大縦走でやってみたいけど…
夕暮れの景色を楽しんでいたら19時をすぎていて就寝します。数時間おきに目覚めますが、その都度寝れました。夜半からは風が吹いてテントを揺らしましたが、それも大したことありません。
3時に起きてパンとコーヒーを飲んで4時に出発します。情念の斜面にはいくつもヘッドランプの光が見えました。ご来光目当ての人たちでしょう。
三股への分岐まで上がったところでご来光となりました。頂上はもうすぐです。
よく写真で見ていた頂上の祠。向こうに涸沢を囲むようにそびえている穂高連峰が見えます。雲が切れて穂高が見えたのはこの時間帯だけでした。
さてここから蝶ヶ岳です。行く手の稜線を見下ろしますと、ザレ場っぽい稜線が下まで続いています。実際には滑って転ぶようなことはありませんでした。思ったより岩がしっかりしていて浮石が少ない印象でした。
少し下がって常念岳を見上げると、なかなか立派だわ〜。男前です。
イワギキョウ
ザレ場を苦労して下って鞍部に着くと途端に樹林帯の中に突入です。湿った空気となりました。ぬかるみも多いものの、石づたいに歩いたりして浸水は避けられました。
2,592峰へ来てみるとここが高山植物のお花畑が点在するよきところでした。花の密集度は高いと思いました。ニッコウキスゲやコバイケイソウ、ハクサンフウロやマルバタケブキなど豊富で写真を撮りまくりました。
この頃になると蝶ヶ岳からの登山者とすれ違うようになったのですが、みなさん笑顔です。きっとお花のおかげかな〜。
ハクサンフウロ
テガタチドリ(AI判定による)
シロバナグンナイフウロ
2,592m峰から一旦下りて150mくらい登り切ると蝶槍です。蝶槍には山岳パトロールの方がいました。「常念からの登山者が意外と少ないが他にいました?」と聞かれ「先行者で一人くらいいるように見えましたが」など会話します。
甲信越は梅雨明けしたものの「北アルプス南部は北陸の影響を受けるから、北陸が梅雨明けしないとカラッとした天気にはならない」とのことでした。この日は槍穂、岳沢、常念〜大天井の3パーティでパトロールしているとのこと。ご苦労様です。
そこからは、いわゆる「蝶」という感じの稜線です。二重稜線はいい感じ。ライチョウが「ゲ、ゲー」と鳴いています。姿は見えなかったけれど元気そうです。本来は右手に槍穂の展望を見ながらの稜線散歩でしょうから、これは最高ですね。
蝶ヶ岳は高校2年の時に山岳部の仲間と登って以来、40年ぶりです。まだ登っているなんて不思議な気分です。あの時の仲間にもまた会いたいもんです。
蝶ヶ岳の三角点は蝶槍近くにあるようなのですが、なんででしょうね?経緯があるのですかね?
頂上で行動食をとってさっさと下山。昨日常念小屋でテント泊の受付をするときに2日目の行程を記入して渡すと「なかなかの頑張りですね。エスケープも頭に入れてくださいね」と言われたのが頭にあって、「油断してはいけない」と自省する気分なのです。
頂上から少し下がったところに、ここにも小さい二重稜線のところがあって、ハクサンイチゲがたくさん咲いていました。女性3人組がなにやら顔を付き合わせているので聞いてみると、クロユリがありました。なかなか出会うことができない花です。
そこからは長塀尾根を延々下っていきます。高校2年の時に「こんな登りやすい道があるのか」と感動したのですが、下りはともかく登りはやっぱり長くてしんどいと思うのですが、やっぱり若かったのでしょう。ぴょんぴょん登っていたのだと思います
11時に徳沢に到着。コースタイムでは12時半の予定だったと思うのでこれも予定より早いペース。ぴょんぴょんとは行かず、ドタバタ汗だくおっさんですが、十分でしょう。
ここのキャンプ場はいつ来ても気持ちいいですね。いつも「今度はゆっくりキャンプに」と思うのですが、せっかちでもったいながりな性格なので、実現できていません。
そこからいつもの上高地への道を歩いていたのですが、明神小屋から先は通行止めとなっていて右岸沿いの遊歩道を観光客に混じって急ぎます。
やっぱり外国人の方が多く河童橋は最高に人が多かったですし、梓川沿いに皆さん腰掛けている風は、京都の鴨川かと思いました(笑)
バスターミナルに行って13時20分発の新島々行きバスに乗ります。新島々で着替えた後、コカコーラをがぶ飲みします。うまい!
松本に着いて、駅近くの洋食店「どんぐり」へ行って、ハンバーグ定食と生ビールを飲んで、無事下山のひとりお疲れさん会です。美味しかったです。
やっぱり旅として山に登るのが楽しいですね。
さて私3年間の東京単身赴任を終えて7月初旬に大阪に戻って来ました。東京はありえないアクセスの良さで山を存分に登ることができました。いつか総括したいと思っていますが、とりあえず環境が変わったので、ご報告しておきます。今後ともよろしくお願いします。
■北アルプス・常念〜蝶ヶ岳〜上高地 2024/7/20~21
1 一の沢(11:20/15:00)常念乗越
2 常念乗越(4:00/5:00)常念岳(5:05/8:05)蝶ヶ岳(8:20/10:55)徳沢(11:00/12:50)上高地バスターミナル
陸奥の旅 恐山と寒立馬そして六ヶ所村 [東京での登山と日常]
こう雨が続くと山の計画はなかなか実行できず、ちょうど大人の休日倶楽部パスの期間でもありましたので、青森の陸奥と会津若松から只見線へと2回にわたって日帰りの旅に行ってきました。今回は陸奥への旅です。
東京は雨だったけれど、盛岡を過ぎた頃から青空が見え出しました。東北新幹線「八戸」でおりて(8時49分)、青い森鉄道に乗り換えます。青い森鉄道は2両編成でなんとか席を確保できました。新幹線も青い森鉄道も、大人の休日倶楽部パスの乗客であろう、中高年の一団であふれています(私もその一人ですが…)。
青い森鉄道は最初の内はどうってことない景色なのですが、青森への分岐である野辺地を経て大湊線になったころから、陸奥湾の青い海をときどき見ることができました。
この日は本州で一番北にある駅「下北」でレンタカーを借りて、まずは霊場恐山へ。30分ほど車を走らせると硫黄の匂いが鼻をつき、宇曽利湖が見えました。
ちょうどお昼なので、八戸で買った駅弁「海峡漬ちらし」を車の中でいただきます。
サーモンはくせがなくとっても食べやすかったし、何より綺麗でした。おいしかったです。
入山料500円を支払って境内に入り、地獄めぐりに出かけます。
さて恐山というとイタコのおばさんがいて霊が降りてくるイメージがありますが、通常期はいらっしゃいません。大祭と秋祭りの頃にいらっしゃるそうです。大祭は7月20日〜24日ですからもうすぐですね。
少し残念でしたが、ほっとしたのも事実。
さて地獄巡りです。白い荒涼とした風景が広がり、石積みに刺された風車がカタカタと乾いた音をたてて回っています。
この風車の音くらいでな〜んも音がしません。地獄とも極楽とも思えるような不思議な感覚でした。
極楽の浜は白い砂浜が続き、東日本大震災の慰霊碑がありましたので手を合わせます。
入口近くに戻ってきて、薬師の湯という温泉に入ります。この温泉は参拝者なら無料で入れるのです。女湯も参道を挟んで反対にありました。男湯はちょうど一人入浴を済ませた方が出て、1人で硫黄泉にまったりしました。霊場のお寺の中の温泉というのも、なんだか貴重な体験でした。
霊場に入る直前には、三途の川にかかる太鼓橋がありました。三途の川と称するところも初めてです。
1泊2日なら「仏ヶ浦」や「大間」へ行くところなのでしょうが、日帰りということもあるし、あと行きたいところ「六ケ所村」があったので、まずは車を太平洋側に進めます。まずは尻屋崎(しりやざき)へ。
灯台を見てからお目当ての「寒立馬(かんだちめ)」を見ることができました。足がぶっとくてサラブレットのような優雅さはありませんが、地に足の着いた安定感、安心感があります。春に生まれたばかりの子馬もいて、お母さん(だと思う)から離れずにずっと寄り添っていました。かわいい
もう一つ道中の楽しみで日本最大級で鳥取砂丘を上回るとの説もある猿ヶ森砂丘を一目見たいと思っていたのですが、どこにも案内板がなく通り過ぎてしまいました。防衛装備庁の弾道試験場になっているので公開されていないのですが、ちょっとだけでも見ることができたら観光の目玉になるのになあと残念です。
そして車は信号のない道を延々と南下。腰がそろそろ痛くなってきたころ。原燃の六ケ所村PRセンターに着きました。
青森県六ケ所村には使用済み核燃料の再処理工場が建設されています。日本で唯一の再処理工場を受け入れた六ケ所村とはどんなところなのか、また工場建設にあたっては20数回にわたって国の許可が下りずに竣工できずにいる理由はなんなんだろうという疑問があったのでやってきたのです。
施設の中は再処理の方法をわかりやすく展示されています。しかし現状に関する説明はありませんでした(そらそうか)。受付嬢にダメ元で聞いてみますと(ややこしい見学者だったろう)、「許可は国がしていることなので、こちらとしてはなんとも…」との感想。竣工できるかどうかの期日がまた今年(2024年)9月に迫っているとのことです。
この再処理工場が稼働しないと核燃料サイクルは絵にかいた餅になるのですごく重要な施設なんですが、このままだと使用済み核燃料の行き場がなくなってしまいます。最終処分場とともに今すでにある核のゴミ処理の行方がはっきりと示されないまま原子力発電が行われていることにすごく不安を感じてしまいます。
六ヶ所村には風力発電、太陽光発電の施設も多くありました。都会の華やかな生活が表だとすると、この六ヶ所村の風景は裏にあたるのでしょう。モヤモヤした気分で七戸十和田から新幹線に乗って帰路につきました。
東京は雨だったけれど、盛岡を過ぎた頃から青空が見え出しました。東北新幹線「八戸」でおりて(8時49分)、青い森鉄道に乗り換えます。青い森鉄道は2両編成でなんとか席を確保できました。新幹線も青い森鉄道も、大人の休日倶楽部パスの乗客であろう、中高年の一団であふれています(私もその一人ですが…)。
青い森鉄道は最初の内はどうってことない景色なのですが、青森への分岐である野辺地を経て大湊線になったころから、陸奥湾の青い海をときどき見ることができました。
この日は本州で一番北にある駅「下北」でレンタカーを借りて、まずは霊場恐山へ。30分ほど車を走らせると硫黄の匂いが鼻をつき、宇曽利湖が見えました。
ちょうどお昼なので、八戸で買った駅弁「海峡漬ちらし」を車の中でいただきます。
サーモンはくせがなくとっても食べやすかったし、何より綺麗でした。おいしかったです。
入山料500円を支払って境内に入り、地獄めぐりに出かけます。
さて恐山というとイタコのおばさんがいて霊が降りてくるイメージがありますが、通常期はいらっしゃいません。大祭と秋祭りの頃にいらっしゃるそうです。大祭は7月20日〜24日ですからもうすぐですね。
少し残念でしたが、ほっとしたのも事実。
さて地獄巡りです。白い荒涼とした風景が広がり、石積みに刺された風車がカタカタと乾いた音をたてて回っています。
この風車の音くらいでな〜んも音がしません。地獄とも極楽とも思えるような不思議な感覚でした。
極楽の浜は白い砂浜が続き、東日本大震災の慰霊碑がありましたので手を合わせます。
入口近くに戻ってきて、薬師の湯という温泉に入ります。この温泉は参拝者なら無料で入れるのです。女湯も参道を挟んで反対にありました。男湯はちょうど一人入浴を済ませた方が出て、1人で硫黄泉にまったりしました。霊場のお寺の中の温泉というのも、なんだか貴重な体験でした。
霊場に入る直前には、三途の川にかかる太鼓橋がありました。三途の川と称するところも初めてです。
1泊2日なら「仏ヶ浦」や「大間」へ行くところなのでしょうが、日帰りということもあるし、あと行きたいところ「六ケ所村」があったので、まずは車を太平洋側に進めます。まずは尻屋崎(しりやざき)へ。
灯台を見てからお目当ての「寒立馬(かんだちめ)」を見ることができました。足がぶっとくてサラブレットのような優雅さはありませんが、地に足の着いた安定感、安心感があります。春に生まれたばかりの子馬もいて、お母さん(だと思う)から離れずにずっと寄り添っていました。かわいい
もう一つ道中の楽しみで日本最大級で鳥取砂丘を上回るとの説もある猿ヶ森砂丘を一目見たいと思っていたのですが、どこにも案内板がなく通り過ぎてしまいました。防衛装備庁の弾道試験場になっているので公開されていないのですが、ちょっとだけでも見ることができたら観光の目玉になるのになあと残念です。
そして車は信号のない道を延々と南下。腰がそろそろ痛くなってきたころ。原燃の六ケ所村PRセンターに着きました。
青森県六ケ所村には使用済み核燃料の再処理工場が建設されています。日本で唯一の再処理工場を受け入れた六ケ所村とはどんなところなのか、また工場建設にあたっては20数回にわたって国の許可が下りずに竣工できずにいる理由はなんなんだろうという疑問があったのでやってきたのです。
施設の中は再処理の方法をわかりやすく展示されています。しかし現状に関する説明はありませんでした(そらそうか)。受付嬢にダメ元で聞いてみますと(ややこしい見学者だったろう)、「許可は国がしていることなので、こちらとしてはなんとも…」との感想。竣工できるかどうかの期日がまた今年(2024年)9月に迫っているとのことです。
この再処理工場が稼働しないと核燃料サイクルは絵にかいた餅になるのですごく重要な施設なんですが、このままだと使用済み核燃料の行き場がなくなってしまいます。最終処分場とともに今すでにある核のゴミ処理の行方がはっきりと示されないまま原子力発電が行われていることにすごく不安を感じてしまいます。
六ヶ所村には風力発電、太陽光発電の施設も多くありました。都会の華やかな生活が表だとすると、この六ヶ所村の風景は裏にあたるのでしょう。モヤモヤした気分で七戸十和田から新幹線に乗って帰路につきました。
雑多なこと 東北の山への思いとドキュメンタリー、映画 [東京での登山と日常]
残雪期に東北の山に何回も行ってしまいました。
八甲田や月山のテレマークスキーはとても思い出深いものになりました。東北の山はいいですね。山容がなだらかで、関西や甲信越では感じられない大きな優しさに包まれるような気がします。
また自分のテレマークスキーとしても「ちょっと掴んだのでは…」と思わせるものでした(←いつもの勘違いの可能性はあるw)。焼石岳のお花畑もよかった。
東北以外の谷川主脈もよい山行でした。自画自賛ですけど、最近特にいい山行をしていると思う。この歳でそう思えるのは幸せなことだ。
東北に行くということは、電車賃がかかる。すると生活費が苦しくなる。だから食費を節約する。と言っても食事のバランスは大事なので、自炊で偏食をしないよう心掛ける。ランチにサンドイッチを作って行ったり工夫を重ねていると、急に外食ランチを食べるのがもったいないと思うようになってきました。すると意地になってさらに自炊に励むようになった今日この頃です。
実際のところ職場近くで満足度の高いランチを食べようとすると1200〜1500円くらいは必要な気がしますし、美味しいを求めるのはきりがないです。ランチ1000円以内のところもあるにはありますが、品数が減ったり、満足度はだんだん得られなくなってきたのが実情なのです。社内をみると割とおにぎりを作ってきている人なんかもいるので、確かに「あり」かなあと思っています。
最近読んだ本は、真山仁の「ロッキード」を読みました。まあおもしろく書かれているのですが、中曽根康弘さんの関わりの部分で飛躍していると思うのですがどうでしょうか?ただ田中角栄さんについては一度上越を訪ね歩いてみたいとも思います。なんだかんだ言って「魅力的」です。
ほかには藤沢周平の「蝉しぐれ」を読みました。何度もドラマや映画にもなっている作品で、藤沢周平の中でも一番の人気作品なようです。実際、判官びいき、勧善懲悪や幼馴染への思いなどすべての要素が詰まっていて、一気に読むことができました。読後感もよし。おすすめです。
テレビではETV特集の「千年の祭りが絶えるとき」が考えさせられました。舞台となるお寺が岩手県水沢市で焼石岳で水沢に行ったばかりなので、勝手に身近に感じたこともあります。
祭りは青年団を中心に盛り上がるのですが、祭りの根本となる儀式を執り行う氏子の高齢化で存続が無理になったのです。日本のそこかしこで同じようなことがおこるのでしょうね。少子化や地方の人口減や疲弊は東京一極集中とセットだと思うのですが、なぜか東京になんでも集中していることを誰も表立って批判しないのはなぜなんでしょうね。この街で子育てするのは難しいなと思いますよ。都知事選は7月7日投開票です。どれだけ現状に批判票が集まるか注目しています。
映画はピンク・フロイドの初期メンバー「シド・バレット〜ひとりぼっちの狂気」の映画を見ました。私はのちのプログレ大御所時代より、初期のサイケ時代のピンク・フロイドから聞き始めたのでシド・バレットには思い入れがあります。思いもかけずポップバンドになり、ショービジネスに巻き込まれ、精神的に病んでしまったシド・バレットのその後の人生は悲劇としかいいようがありませんが、メンバーの心の中にいつまでも残り「あなたがそこにいてほしい」をシドに捧げて演奏したシーンは本当に泣けてきます。前売り券でもらったポスターを部屋に飾ったのですが、ちょっと不気味かもしれません。
それと「マッドマックス フュリオサ」も見ました。前作がぶっ飛んでいて、エンターテインメントはこれでいいんじゃないかとある種の答えのような作品だったと思うのですが、今回は幾分内省的な展開が多いものの、2時間半はあっという間で見終わった後心地よい疲労感に包まれました。
登山の方は、百名山で残っているのは東北で大朝日岳、上信越で越後駒ケ岳と火打山を残すばかりとなりました。だいぶ登り込んできました。そろそろバリエーションとして沢登りに移行していきたい時期なんですが、パートナーがなかなかいません。
大学時代の友人も家族の思いがけない事情で行けなくなってしまったり、会社の方が忙しくなったり。自分だって家庭環境、自分の健康含めていつどうなることかわかりませんので、今できることを精一杯やるしかないと考えています。案外残された時間はナイと思って。
八甲田や月山のテレマークスキーはとても思い出深いものになりました。東北の山はいいですね。山容がなだらかで、関西や甲信越では感じられない大きな優しさに包まれるような気がします。
また自分のテレマークスキーとしても「ちょっと掴んだのでは…」と思わせるものでした(←いつもの勘違いの可能性はあるw)。焼石岳のお花畑もよかった。
東北以外の谷川主脈もよい山行でした。自画自賛ですけど、最近特にいい山行をしていると思う。この歳でそう思えるのは幸せなことだ。
東北に行くということは、電車賃がかかる。すると生活費が苦しくなる。だから食費を節約する。と言っても食事のバランスは大事なので、自炊で偏食をしないよう心掛ける。ランチにサンドイッチを作って行ったり工夫を重ねていると、急に外食ランチを食べるのがもったいないと思うようになってきました。すると意地になってさらに自炊に励むようになった今日この頃です。
実際のところ職場近くで満足度の高いランチを食べようとすると1200〜1500円くらいは必要な気がしますし、美味しいを求めるのはきりがないです。ランチ1000円以内のところもあるにはありますが、品数が減ったり、満足度はだんだん得られなくなってきたのが実情なのです。社内をみると割とおにぎりを作ってきている人なんかもいるので、確かに「あり」かなあと思っています。
最近読んだ本は、真山仁の「ロッキード」を読みました。まあおもしろく書かれているのですが、中曽根康弘さんの関わりの部分で飛躍していると思うのですがどうでしょうか?ただ田中角栄さんについては一度上越を訪ね歩いてみたいとも思います。なんだかんだ言って「魅力的」です。
ほかには藤沢周平の「蝉しぐれ」を読みました。何度もドラマや映画にもなっている作品で、藤沢周平の中でも一番の人気作品なようです。実際、判官びいき、勧善懲悪や幼馴染への思いなどすべての要素が詰まっていて、一気に読むことができました。読後感もよし。おすすめです。
テレビではETV特集の「千年の祭りが絶えるとき」が考えさせられました。舞台となるお寺が岩手県水沢市で焼石岳で水沢に行ったばかりなので、勝手に身近に感じたこともあります。
祭りは青年団を中心に盛り上がるのですが、祭りの根本となる儀式を執り行う氏子の高齢化で存続が無理になったのです。日本のそこかしこで同じようなことがおこるのでしょうね。少子化や地方の人口減や疲弊は東京一極集中とセットだと思うのですが、なぜか東京になんでも集中していることを誰も表立って批判しないのはなぜなんでしょうね。この街で子育てするのは難しいなと思いますよ。都知事選は7月7日投開票です。どれだけ現状に批判票が集まるか注目しています。
映画はピンク・フロイドの初期メンバー「シド・バレット〜ひとりぼっちの狂気」の映画を見ました。私はのちのプログレ大御所時代より、初期のサイケ時代のピンク・フロイドから聞き始めたのでシド・バレットには思い入れがあります。思いもかけずポップバンドになり、ショービジネスに巻き込まれ、精神的に病んでしまったシド・バレットのその後の人生は悲劇としかいいようがありませんが、メンバーの心の中にいつまでも残り「あなたがそこにいてほしい」をシドに捧げて演奏したシーンは本当に泣けてきます。前売り券でもらったポスターを部屋に飾ったのですが、ちょっと不気味かもしれません。
それと「マッドマックス フュリオサ」も見ました。前作がぶっ飛んでいて、エンターテインメントはこれでいいんじゃないかとある種の答えのような作品だったと思うのですが、今回は幾分内省的な展開が多いものの、2時間半はあっという間で見終わった後心地よい疲労感に包まれました。
登山の方は、百名山で残っているのは東北で大朝日岳、上信越で越後駒ケ岳と火打山を残すばかりとなりました。だいぶ登り込んできました。そろそろバリエーションとして沢登りに移行していきたい時期なんですが、パートナーがなかなかいません。
大学時代の友人も家族の思いがけない事情で行けなくなってしまったり、会社の方が忙しくなったり。自分だって家庭環境、自分の健康含めていつどうなることかわかりませんので、今できることを精一杯やるしかないと考えています。案外残された時間はナイと思って。
岩手・焼石岳6月初旬 ハクサンイチゲの群生を求めて [東京での登山と日常]
岩手県南部の焼石岳は花の百名山として名高く、一度は行ってみたい山でした。特に6月はハクサンイチゲが一斉に咲くということで、SNSでのレポも頻繁にあがります。チャンスを待ち構えていたところ週末の天気が良いようです。
焼石岳登山で悩むところは登山口までの公共交通機関がなく、タクシー利用かレンタカーか判断を迫られることです。レンタカーなら8時の営業開始まで待たねばならず、9時到着としても駐車場がいっぱいで右往左往しそうです。ここは奮発してタクシーを利用し、その分夜行バスを利用して交通費全体の帳尻を合わせようと考えました
夜行バスで水沢駅に着いたのは午前6時前。私以外、バスから登山者らしき人は誰も降りてきません。ガーン!完璧にあてが外れました。実はタクシーに同乗する人がいるのではと期待していたのです…。がっかりしましたが所詮は皮算用の類いの話です。予約していたタクシーに乗り込んでしまえば、気持ちも切り替わりました。(9,410円でした)
さて入山は中沼登山口です。想像していた通り駐車場は満杯で引き返して林道に駐車する車が多くありました。運転手さんによると、この林道は雨の後だと砂利が流れて、車の腹を擦るのだそうです。しかしこの運転手さんはどうしてこんな話をするのだろう?よほどこの道来たくなかったのか…。
登山口で準備を済ませ出発です。明るい樹林の中はヒグラシとカエルの鳴き声で包まれています。先日の荒船山でも同じような鳴き声の合唱でしたが、より鳴き声の圧があるように感じます。
やがて中沼に着きました。沼越しに残雪がある横岳が見えます。
そして中沼あたりから花の百名山の本領発揮です。
ハクサンチドリ
リュウキンカ
一足早く出発したであろう人たちにもこの辺りで追いつきました。なんせみんな写真を撮るのに忙しく、なかなか前に進めないのです。これだけ花が咲いていると誰しも気分があがろうというものです
ミズバショウは全体的に終わりに近いようでした
ミツガシワも女性に教えてもらいました
「サンカヨウ少ないなあ。シラネアオイ率高いなあ」とか「リュウキンカも大好きなんです」とか。問わず語りに声を出しているのは、だいたい女性ですね。自然と会話が生まれ、花の名前や珍しい花を教わりました。私も以前に比べるとわかるようになったものですが、彼女ら(彼ら)の花に対する熱量には圧倒されます。「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったものです。
これはわかります。ショウジョウバカマ
道に水が流れているところもありました。
シラネアオイがこんなに咲いているのを始めて見ました。全行程において。それも花弁がくたっとしていなくて、キリッとしているのです。
「これサンカヨウよ」「花びらが透き通るやつですよね」「これは透き通ってないけどね〜」
残雪が現れました。ここがツブ沼コースとの分岐点です。補助ロープがありました。下降時にワンポイント使いました。
さらに上がって賑やかな声が聞こえると銀明水。名水との評判が高い水です。帰りにペットボトルに汲みましたが、家で飲んでも、まろやかでとてもおいしかったです。確かに他の水とは違うと思いました。これでお酒作ったら美味しいのができるのかも。
銀明水の避難小屋に寄ってみると2階建てで居心地がよさそうでした。張り紙には熊がこの階段付近に出没したと書かれていましたけども…
残雪をいくつか通過します。アイゼンを付けている人はいませんでしたが、穴が開いているところがあったり、大きな雪渓では下りの時トレッキングポールが欲しくなりました。
ほかの方の装備をみていて羨ましかったのが長靴です。道がぬかるんでいるところが多く、私の登山靴のつま先がラバーが欠けていて「水が染みるかも」と不安だったからかもしれませんが、それほど標高がない残雪期の山だったら試してみてもいいなあと思いました。
「わー可愛い」女性が大きな声を出したのがイワカガミでした。「すごく濃い色、これ特別ね〜」
ぱっと景色が広がったら姥石平です。ついにハクサンイチゲ登場です。
それだけで大喜びして写真を何枚も撮っていたのですが、こんなもんではないと後で思い知ります。もう少し後の東焼石岳のことです。
稜線の上に上がりますと反対側の小岩沢の源頭部を見下ろすことができました。池塘や草原があって天国のような場所です。(実際は違うと思いますが…)
焼石岳に登って朝食で食べたあんパンの残りを食べて、東焼石岳を目指します。
いったん焼石神社の分岐まで行き(特に神社らしいものはない)、東焼石岳へ行くのですが、その途中からお花畑が延々と続くのです。ハクサンイチゲをはじめとして、チングルマ、ヨツバシオガマなどが咲き乱れています。どれも足元にかわいらしく咲いているので非常に「健気」であります。
「これ、こないだ教えてもらったのに名前思い出せない。え〜と、確かヒナザクラだわ」
ご夫婦らしき男女より教えてもらう。
ヨツバシオガマ
おなじみチングルマ
ユキワリコザクラは人工かと思うような配色ですね
ここでも花の先達に教わったのが、ムシトリスミレとヨツバシオガマの白花です。ムシトリスミレは名前の通り食虫植物で、白花は紫色が普通のヨツバシオガマの色違いです。「去年もこの辺で見かけたのよね〜」と言っていました。(この人たちは毎年登っているんだ〜)、よく知っているはずですよね。
ムシトリスミレ
ヨツバシオガマの白ばな
山頂付近は一面のお花畑
姥石平に戻って焼石岳を見納めします。
下山は中沼コースより距離は長くなるものの道路事情がよい(タクシー代も安い)ツブ沼コースを選びます。銀明水避難小屋で電話して(docomo)15時半に登山口で待ち合わせしました。
ツブ沼コースはずっと樹林帯でやはり長かった。熊の糞もあったので、熊鈴はあったほうがよいでしょうね。
石沼を眺めて予定より早い14時40分ごろにツブ沼登山口に到着しました。
タクシーも15時ごろに来てくれたので、水沢石田温泉で下ろしてもらって汗を流し、広間でちょっと仮眠して1時間半ほど過ごしました。
その後水沢駅まで40分ほど歩き、運転手さんに教えてもらった駅前の「千成」でもつ煮をあてにビールを飲んで、かつ丼(750円)でおなかを満たしました。
夜行バスの出発は23時半なのでまだまだ時間があるので、街をブラブラします。水沢と言えば政治家、小沢一郎さんの地元でたくさんポスターが張られています。「選挙の時しか帰ってこない」らしいのですが、それでもやっぱり小沢一郎なんですね。人気が伺えます。
そしてスナックなどの飲み屋が結構あったのが、ちょっと驚きです。昭和マニアなら大喜びしそうなロケーションです。
その後も順調に暇をつぶし、夜行バスに乗り込むとさすがに寝付きが良く、ほぼ寝ることができて、翌朝7時に東京駅に到着しました。家に帰って仮眠をとったらとりあえずは元気回復しましたが、ちょっとダメージは続くかもですね。
とにかく写真をたくさん撮りました。楽しい思い出ができました。
もっと花の名前を覚えたいですね
■岩手・焼石岳 2024/6/8
中沼登山口(7:00/10:00)焼石岳(10:10/11:15)東焼石岳(11:25/12:30)銀明水避難小屋(12:40/14:40)ツブ沼登山口
焼石岳登山で悩むところは登山口までの公共交通機関がなく、タクシー利用かレンタカーか判断を迫られることです。レンタカーなら8時の営業開始まで待たねばならず、9時到着としても駐車場がいっぱいで右往左往しそうです。ここは奮発してタクシーを利用し、その分夜行バスを利用して交通費全体の帳尻を合わせようと考えました
夜行バスで水沢駅に着いたのは午前6時前。私以外、バスから登山者らしき人は誰も降りてきません。ガーン!完璧にあてが外れました。実はタクシーに同乗する人がいるのではと期待していたのです…。がっかりしましたが所詮は皮算用の類いの話です。予約していたタクシーに乗り込んでしまえば、気持ちも切り替わりました。(9,410円でした)
さて入山は中沼登山口です。想像していた通り駐車場は満杯で引き返して林道に駐車する車が多くありました。運転手さんによると、この林道は雨の後だと砂利が流れて、車の腹を擦るのだそうです。しかしこの運転手さんはどうしてこんな話をするのだろう?よほどこの道来たくなかったのか…。
登山口で準備を済ませ出発です。明るい樹林の中はヒグラシとカエルの鳴き声で包まれています。先日の荒船山でも同じような鳴き声の合唱でしたが、より鳴き声の圧があるように感じます。
やがて中沼に着きました。沼越しに残雪がある横岳が見えます。
そして中沼あたりから花の百名山の本領発揮です。
ハクサンチドリ
リュウキンカ
一足早く出発したであろう人たちにもこの辺りで追いつきました。なんせみんな写真を撮るのに忙しく、なかなか前に進めないのです。これだけ花が咲いていると誰しも気分があがろうというものです
ミズバショウは全体的に終わりに近いようでした
ミツガシワも女性に教えてもらいました
「サンカヨウ少ないなあ。シラネアオイ率高いなあ」とか「リュウキンカも大好きなんです」とか。問わず語りに声を出しているのは、だいたい女性ですね。自然と会話が生まれ、花の名前や珍しい花を教わりました。私も以前に比べるとわかるようになったものですが、彼女ら(彼ら)の花に対する熱量には圧倒されます。「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったものです。
これはわかります。ショウジョウバカマ
道に水が流れているところもありました。
シラネアオイがこんなに咲いているのを始めて見ました。全行程において。それも花弁がくたっとしていなくて、キリッとしているのです。
「これサンカヨウよ」「花びらが透き通るやつですよね」「これは透き通ってないけどね〜」
残雪が現れました。ここがツブ沼コースとの分岐点です。補助ロープがありました。下降時にワンポイント使いました。
さらに上がって賑やかな声が聞こえると銀明水。名水との評判が高い水です。帰りにペットボトルに汲みましたが、家で飲んでも、まろやかでとてもおいしかったです。確かに他の水とは違うと思いました。これでお酒作ったら美味しいのができるのかも。
銀明水の避難小屋に寄ってみると2階建てで居心地がよさそうでした。張り紙には熊がこの階段付近に出没したと書かれていましたけども…
残雪をいくつか通過します。アイゼンを付けている人はいませんでしたが、穴が開いているところがあったり、大きな雪渓では下りの時トレッキングポールが欲しくなりました。
ほかの方の装備をみていて羨ましかったのが長靴です。道がぬかるんでいるところが多く、私の登山靴のつま先がラバーが欠けていて「水が染みるかも」と不安だったからかもしれませんが、それほど標高がない残雪期の山だったら試してみてもいいなあと思いました。
「わー可愛い」女性が大きな声を出したのがイワカガミでした。「すごく濃い色、これ特別ね〜」
ぱっと景色が広がったら姥石平です。ついにハクサンイチゲ登場です。
それだけで大喜びして写真を何枚も撮っていたのですが、こんなもんではないと後で思い知ります。もう少し後の東焼石岳のことです。
稜線の上に上がりますと反対側の小岩沢の源頭部を見下ろすことができました。池塘や草原があって天国のような場所です。(実際は違うと思いますが…)
焼石岳に登って朝食で食べたあんパンの残りを食べて、東焼石岳を目指します。
いったん焼石神社の分岐まで行き(特に神社らしいものはない)、東焼石岳へ行くのですが、その途中からお花畑が延々と続くのです。ハクサンイチゲをはじめとして、チングルマ、ヨツバシオガマなどが咲き乱れています。どれも足元にかわいらしく咲いているので非常に「健気」であります。
「これ、こないだ教えてもらったのに名前思い出せない。え〜と、確かヒナザクラだわ」
ご夫婦らしき男女より教えてもらう。
ヨツバシオガマ
おなじみチングルマ
ユキワリコザクラは人工かと思うような配色ですね
ここでも花の先達に教わったのが、ムシトリスミレとヨツバシオガマの白花です。ムシトリスミレは名前の通り食虫植物で、白花は紫色が普通のヨツバシオガマの色違いです。「去年もこの辺で見かけたのよね〜」と言っていました。(この人たちは毎年登っているんだ〜)、よく知っているはずですよね。
ムシトリスミレ
ヨツバシオガマの白ばな
山頂付近は一面のお花畑
姥石平に戻って焼石岳を見納めします。
下山は中沼コースより距離は長くなるものの道路事情がよい(タクシー代も安い)ツブ沼コースを選びます。銀明水避難小屋で電話して(docomo)15時半に登山口で待ち合わせしました。
ツブ沼コースはずっと樹林帯でやはり長かった。熊の糞もあったので、熊鈴はあったほうがよいでしょうね。
石沼を眺めて予定より早い14時40分ごろにツブ沼登山口に到着しました。
タクシーも15時ごろに来てくれたので、水沢石田温泉で下ろしてもらって汗を流し、広間でちょっと仮眠して1時間半ほど過ごしました。
その後水沢駅まで40分ほど歩き、運転手さんに教えてもらった駅前の「千成」でもつ煮をあてにビールを飲んで、かつ丼(750円)でおなかを満たしました。
夜行バスの出発は23時半なのでまだまだ時間があるので、街をブラブラします。水沢と言えば政治家、小沢一郎さんの地元でたくさんポスターが張られています。「選挙の時しか帰ってこない」らしいのですが、それでもやっぱり小沢一郎なんですね。人気が伺えます。
そしてスナックなどの飲み屋が結構あったのが、ちょっと驚きです。昭和マニアなら大喜びしそうなロケーションです。
その後も順調に暇をつぶし、夜行バスに乗り込むとさすがに寝付きが良く、ほぼ寝ることができて、翌朝7時に東京駅に到着しました。家に帰って仮眠をとったらとりあえずは元気回復しましたが、ちょっとダメージは続くかもですね。
とにかく写真をたくさん撮りました。楽しい思い出ができました。
もっと花の名前を覚えたいですね
■岩手・焼石岳 2024/6/8
中沼登山口(7:00/10:00)焼石岳(10:10/11:15)東焼石岳(11:25/12:30)銀明水避難小屋(12:40/14:40)ツブ沼登山口
上州・荒船山 癒しの新緑の頂上台地〜南牧への下りはやや苦戦 [東京での登山と日常]
上州すなわち群馬の山ばかり登っている人がいると聞いたことがあります。たしかに妙義山など峨々たる山並みは他所で類するものがなくそんな気持ちもわかります。そんな上州の山の中でも人気の山が荒船山です。その山容は「不沈空母」とも称される通り堂々たるものです。
今回はそんな荒船山を電車とバスでアプローチし、北から南へ縦走しようと企てました。
高崎からおよそ1時間、上信電鉄に揺られると下仁田駅に到着しました。昭和感が漂う木造1階建のこの駅舎に思わず写真を撮ってしまいます。あとから聞きますと、いろんな映画やTVのロケ地として活用されているそうです。わかるわー。
下仁田駅から町のバスに乗り込みます。乗客は私1人です。下仁田というと「下仁田ネギ」くらいしか連想できなかったのですが、運転手さんと話していると、下仁田は飲食店が人気でそれを目当てに遠くから来る人がいるとか、本宿のドーナッツが有名だとか。こないだも「鶴瓶の家族に乾杯」がロケで来ていたし、「孤独のグルメ」もロケしているそうです。そして、そんな時は決まって急に行列ができているそうです。
話をしているとあっという間に三ツ瀬バス停に到着です。9時15分。
さてバス停からしばらく行きますと相沢(あいざわ)という集落に入り、すぐに登山口に到着しました。駐車場には車2台とバイクが1台停まっていました。家を出る前(午前4時過ぎ)にご飯を食べたのですが、流石にお腹が減りました。ここでチョコとクリームの「二色パン」を食します。山ではカロリーを欲するのか、こういう子供っぽいパンを食べたくなるのです
登山口からは杉林を登ります。大きく足を上げるような道でなく、足運びに優しい道ですので辛くはありません。尾根に上がると出迎えてくれたのがこれです。
この道には地元の人たちによる道標や、こうした工作物が所々にあって和んでしまいます。
その先も杉林と天然林の林が交互に現れます。
杉林が終わって天然林になるところが、空がやや開いてシダが茂っていました。その中でクリンソウを見つけました。お寺のてっぺんの九輪からと言われていますが、なるほど花がつくとそうですね。頂上台地でも「群生地」の標識がありましたので有名なのかもしれません。私は全然知りませんでしたけど、見頃はあと少しというところでしょうね。
やがて尾根上に岩が点在しているなと思ったら、目の前に大きく張り出した岩が現れました。「中の宮」です。こういう大きな岩を見ると、どうしても「登った人がいるだろうか」と不謹慎なことを考えてしまうのが悪いくせです。もちろん地元の人にとって大事にしている岩だからやめたほうがいいです。
時計の高度計を見て「あと100メートルは登らないとなあ」と思っていると、階段が現れました。ここまで登りやすい道が続いていただけに辛く感じますが、距離はそれほどでもありません。
それよりも「ここを登りきるといよいよ頂上台地か」と期待がふくらむところです。
階段を登りきるとパッと大地が開け、道標に従って右に進路を取ります。楽しげな人の声がいくつも聞こえてきます。やがて避難小屋が見えました。
その先が明るく大きく開け、それはその先が断崖となっていることを表しているのです。
おー!これが艫岩(ともいわ)かー!
浅間山が正面に見えました。
そんな位置関係だったっけ?頭の中で地図を思い浮かべますが、今だによくわかりません。関東は山がいっぱいありすぎて、今だに概念が覚えられません。でもまぎれもなく浅間山です。
断崖のヘリに近づくとお腹のあたりがグルグルと変な感じになって近づけません。よくこれで若い頃岩登りをしていたなあと我ながら思うのですが、ロープをつけていると全然違うのは何故なんでしょうねw
艫岩の負の側面が、漫画アニメ「クレヨンしんちゃん」の作者が転落死したことです。「注意喚起」を呼びかける張り紙が多く見られました。地元の方々が遭難防止に苦心するのもわかります。
昼食をとる時間で、皆さんお湯を沸かしてラーメンタイムといったところですが、私は次のミッション「南牧(なんもく)村に下山する」があるので、さっさと艫岩を後にします。
頂上台地はヒグラシの蝉しぐれとカエル(だと思う)の合唱で初夏の感じがいっぱいです。とても気持ちの良い林でした。そして本当にこの辺りは真っ平らなのです。
星尾峠への分岐を越えて荒船山へ向かいます。この登りは短いながらも足を大きく上げるところもありますが、荒船山は二百名山でもあります。ここは頑張って登り切りましょう。
しかし展望がない…w
先ほどの分岐まで戻り星尾峠へ向かいます。
今回、星尾峠から国土地理院地図で黄色の「県道」である路を採用して、途中から威怒牟畿(いぬむき)不動を経由して線ヶ滝へ降りようと計画していたのですが、これがなかなかの「険道」でございました
星尾峠を過ぎてロープを伝って急な路を降りると、踏み跡が一気に薄くなりました。それでもなんとか下の標識まできました。下の写真は来た方を振り返ったところです。
さあここから「県道」を離れ、遊歩道となります。道は沢の中を渡ったりするのですが、さすがに何度か道を見失いました。ピンクのテープ(親切とは言えない。ごめんなさい)が頼りです。ルートファインディングの力を試されているようです。
沢から左手のやや開けた尾根の末端に出て左に小さな滝を見送って、かすかな踏み跡をたどって右上していくとやがて岸壁帯に遮られ、その裾を右に右に進んでいくと沢を渡ったところで道が確かとなって、突然東屋が現れました。はーよかった
道標には朽ちているのか、わざと外しているのか標識がありません。この道はいまは廃道扱いなのかしら?
そこからは(これまでがこれまでだけに)快適な道となって、次の訪問ポイント「威怒牟畿(いぬむき)不動」へ。分岐から「300メートル」上がってご対面です。
スクリーンのような大きな岩場に水が落ちています。岩の下には木の人工物があって宗教施設のようです。案内板によると「大正初期までは近郊の参詣者多く(中略)この地を訪ね祈れば諸願成就する」とのこと。こんな山奥まで参詣に来るとは、いつも思うことですが、信仰心とはすごいものですね。
ようやく登山口まで降りてきました。時間は14時半です。線ヶ滝を前にしてやっぱり少し寄り道です。断層に滝があるとのこと。見事なくらい一直線の滝がいさぎよいです。
そこからはアスファルトの道を1時間です。途中に星尾温泉がありました。新しそうなのぼりに「11〜18時」と書いてあったので日帰り入浴もできたのかもしれませんが、時間もないのでスルーしてしまいました。
15時半頃、バス停手前の南牧(なんもく)の民族資料館に寄ると、この村が上州と信州をつなぐ地域であったこと、こんにゃく作りや養蚕、紙漉きが盛んだったことなどがわかります。昔の方が地方は産業があって、活気が伺えました。
資料館の係の女性が「南牧は高齢化が進んでいますが、みんなすごく元気なお年寄りばかりなんです」と嬉しそうに話していたのが印象的でした。
16時8分のバスに乗って下仁田駅へ。車窓から山並みを眺めていますと、バスの運転手さんが「いまは気を植えてしまっていますが、昔は山の稜線近くまで段々畑が続いていたんですよ」とのことでした。
運転手さんから聞き出した下仁田駅近くの人気飲食店(ラーメンの一番や、すき焼きのコロンビア、きよしや食堂)でご飯を食べたかったけれど開いてなくて、16時56分の上信電鉄に乗って帰路につきました。
北から南まで繋いだのは充実感もあっていいと思うのですが、このルートの欠点は荒船山の荒船山らしい写真が撮れないことですね
■上州・荒船山 2024/6/1
三ツ瀬バス停(9:15/12:05)荒船山(12:10/15:35)羽根沢バス停
今回はそんな荒船山を電車とバスでアプローチし、北から南へ縦走しようと企てました。
高崎からおよそ1時間、上信電鉄に揺られると下仁田駅に到着しました。昭和感が漂う木造1階建のこの駅舎に思わず写真を撮ってしまいます。あとから聞きますと、いろんな映画やTVのロケ地として活用されているそうです。わかるわー。
下仁田駅から町のバスに乗り込みます。乗客は私1人です。下仁田というと「下仁田ネギ」くらいしか連想できなかったのですが、運転手さんと話していると、下仁田は飲食店が人気でそれを目当てに遠くから来る人がいるとか、本宿のドーナッツが有名だとか。こないだも「鶴瓶の家族に乾杯」がロケで来ていたし、「孤独のグルメ」もロケしているそうです。そして、そんな時は決まって急に行列ができているそうです。
話をしているとあっという間に三ツ瀬バス停に到着です。9時15分。
さてバス停からしばらく行きますと相沢(あいざわ)という集落に入り、すぐに登山口に到着しました。駐車場には車2台とバイクが1台停まっていました。家を出る前(午前4時過ぎ)にご飯を食べたのですが、流石にお腹が減りました。ここでチョコとクリームの「二色パン」を食します。山ではカロリーを欲するのか、こういう子供っぽいパンを食べたくなるのです
登山口からは杉林を登ります。大きく足を上げるような道でなく、足運びに優しい道ですので辛くはありません。尾根に上がると出迎えてくれたのがこれです。
この道には地元の人たちによる道標や、こうした工作物が所々にあって和んでしまいます。
その先も杉林と天然林の林が交互に現れます。
杉林が終わって天然林になるところが、空がやや開いてシダが茂っていました。その中でクリンソウを見つけました。お寺のてっぺんの九輪からと言われていますが、なるほど花がつくとそうですね。頂上台地でも「群生地」の標識がありましたので有名なのかもしれません。私は全然知りませんでしたけど、見頃はあと少しというところでしょうね。
やがて尾根上に岩が点在しているなと思ったら、目の前に大きく張り出した岩が現れました。「中の宮」です。こういう大きな岩を見ると、どうしても「登った人がいるだろうか」と不謹慎なことを考えてしまうのが悪いくせです。もちろん地元の人にとって大事にしている岩だからやめたほうがいいです。
時計の高度計を見て「あと100メートルは登らないとなあ」と思っていると、階段が現れました。ここまで登りやすい道が続いていただけに辛く感じますが、距離はそれほどでもありません。
それよりも「ここを登りきるといよいよ頂上台地か」と期待がふくらむところです。
階段を登りきるとパッと大地が開け、道標に従って右に進路を取ります。楽しげな人の声がいくつも聞こえてきます。やがて避難小屋が見えました。
その先が明るく大きく開け、それはその先が断崖となっていることを表しているのです。
おー!これが艫岩(ともいわ)かー!
浅間山が正面に見えました。
そんな位置関係だったっけ?頭の中で地図を思い浮かべますが、今だによくわかりません。関東は山がいっぱいありすぎて、今だに概念が覚えられません。でもまぎれもなく浅間山です。
断崖のヘリに近づくとお腹のあたりがグルグルと変な感じになって近づけません。よくこれで若い頃岩登りをしていたなあと我ながら思うのですが、ロープをつけていると全然違うのは何故なんでしょうねw
艫岩の負の側面が、漫画アニメ「クレヨンしんちゃん」の作者が転落死したことです。「注意喚起」を呼びかける張り紙が多く見られました。地元の方々が遭難防止に苦心するのもわかります。
昼食をとる時間で、皆さんお湯を沸かしてラーメンタイムといったところですが、私は次のミッション「南牧(なんもく)村に下山する」があるので、さっさと艫岩を後にします。
頂上台地はヒグラシの蝉しぐれとカエル(だと思う)の合唱で初夏の感じがいっぱいです。とても気持ちの良い林でした。そして本当にこの辺りは真っ平らなのです。
星尾峠への分岐を越えて荒船山へ向かいます。この登りは短いながらも足を大きく上げるところもありますが、荒船山は二百名山でもあります。ここは頑張って登り切りましょう。
しかし展望がない…w
先ほどの分岐まで戻り星尾峠へ向かいます。
今回、星尾峠から国土地理院地図で黄色の「県道」である路を採用して、途中から威怒牟畿(いぬむき)不動を経由して線ヶ滝へ降りようと計画していたのですが、これがなかなかの「険道」でございました
星尾峠を過ぎてロープを伝って急な路を降りると、踏み跡が一気に薄くなりました。それでもなんとか下の標識まできました。下の写真は来た方を振り返ったところです。
さあここから「県道」を離れ、遊歩道となります。道は沢の中を渡ったりするのですが、さすがに何度か道を見失いました。ピンクのテープ(親切とは言えない。ごめんなさい)が頼りです。ルートファインディングの力を試されているようです。
沢から左手のやや開けた尾根の末端に出て左に小さな滝を見送って、かすかな踏み跡をたどって右上していくとやがて岸壁帯に遮られ、その裾を右に右に進んでいくと沢を渡ったところで道が確かとなって、突然東屋が現れました。はーよかった
道標には朽ちているのか、わざと外しているのか標識がありません。この道はいまは廃道扱いなのかしら?
そこからは(これまでがこれまでだけに)快適な道となって、次の訪問ポイント「威怒牟畿(いぬむき)不動」へ。分岐から「300メートル」上がってご対面です。
スクリーンのような大きな岩場に水が落ちています。岩の下には木の人工物があって宗教施設のようです。案内板によると「大正初期までは近郊の参詣者多く(中略)この地を訪ね祈れば諸願成就する」とのこと。こんな山奥まで参詣に来るとは、いつも思うことですが、信仰心とはすごいものですね。
ようやく登山口まで降りてきました。時間は14時半です。線ヶ滝を前にしてやっぱり少し寄り道です。断層に滝があるとのこと。見事なくらい一直線の滝がいさぎよいです。
そこからはアスファルトの道を1時間です。途中に星尾温泉がありました。新しそうなのぼりに「11〜18時」と書いてあったので日帰り入浴もできたのかもしれませんが、時間もないのでスルーしてしまいました。
15時半頃、バス停手前の南牧(なんもく)の民族資料館に寄ると、この村が上州と信州をつなぐ地域であったこと、こんにゃく作りや養蚕、紙漉きが盛んだったことなどがわかります。昔の方が地方は産業があって、活気が伺えました。
資料館の係の女性が「南牧は高齢化が進んでいますが、みんなすごく元気なお年寄りばかりなんです」と嬉しそうに話していたのが印象的でした。
16時8分のバスに乗って下仁田駅へ。車窓から山並みを眺めていますと、バスの運転手さんが「いまは気を植えてしまっていますが、昔は山の稜線近くまで段々畑が続いていたんですよ」とのことでした。
運転手さんから聞き出した下仁田駅近くの人気飲食店(ラーメンの一番や、すき焼きのコロンビア、きよしや食堂)でご飯を食べたかったけれど開いてなくて、16時56分の上信電鉄に乗って帰路につきました。
北から南まで繋いだのは充実感もあっていいと思うのですが、このルートの欠点は荒船山の荒船山らしい写真が撮れないことですね
■上州・荒船山 2024/6/1
三ツ瀬バス停(9:15/12:05)荒船山(12:10/15:35)羽根沢バス停
谷川連峰主脈縦走1泊 西黒尾根から平標へ [東京での登山と日常]
谷川岳に登ったのは2022年3月。積雪期とはいえ天神平からの往復で、ネームバリューと比較的手軽な雪山登山の差にアンバランスさを感じていました。その時に「あの稜線ええなあ」と眺めたのが谷川連峰主脈と呼ばれる稜線でした。雪がなくなったら一度あそこを歩いてみたい。そしてその時は西黒尾根から登るのがいいのだろうなとぼんやりながら考えていたのでした。
高崎線、上越線を乗り継いで土合駅に到着します。モグラ駅の階段を黙々と登ります。土合の階段を上るのは白毛門以来2回目で、もう要領を得たものです。明るい地上に出たら駅を出て右のトイレで用を済ませ、準備を整え出発するともう午前9時です。先は長い。急がねば。
ロープウェー駅を通り過ぎてすぐに谷川岳山岳資料館がありました。資料館前には群馬県岳連の八木原圀明さんの写真パネルがありました。群馬県岳連といえば、すぐにエベレストBCで「ひだまり肌着」を着込んだ、例の登山隊がずらりと並んだ写真が思い出されますね(笑)知らない方は一度検索してみてください。インパクト大ですよ。
林道を行くとまもなくで西黒尾根入口です。日本三大急登の一つと言われているのですが(あと2つは烏帽子岳のブナ立尾根と甲斐駒の黒戸尾根)、のっけからいきなりの先制パンチを受けました。鉄塔下まで上り詰め、ちょっとは緩やかになるかなと期待したのですが、「三大」をバカにしてはいけません。急登は止まりませんから。
樹林帯を抜けパッと展望が開けると、天神平のロープウェーの施設を見下ろすところまで上がって来てました。「わー」と思わず声を出した後に、休憩中のご夫婦らしい方に気づきました。ちょっと気まづかった…
対面には白毛門から続く馬蹄形の山々、上州武尊山、赤城山が見えます。しかしいい天気だな〜
荒々しい谷川岳東面が見えますが、本チャンのクライミングで有名な一の倉沢などはここからは見えません。いつかは見たいですね。クライミングとして登りに来るのはちと無理でしょう、さすがに。
ラクダの背の前後から岩場がぐっと増え、黄色いペイントを目印にどんどん高度を上げていきます。
蛇紋岩と呼ばれる岩は登山者によってつるつるに磨かれ、靴底が擦れて黒くなっているところもありました。この岩滑りやすいので有名なんですよね。尾瀬の至仏山でもありました。
きょうは晴れて岩がよく乾いているからなのか、下山ルートに使う人が多いのが意外でした。私はこの下りはちょっと嫌だな。
尾根の突き当りを登りきると雪渓が現れました。キックステップで登って天神尾根と合流です。
トマの耳に続きオキの耳も登って今一度大パノラマを堪能しました。さすが百名山だけあって多くの登山者で賑わっています。こういうところに来るとなんとなくすぐに立ち去りたくなってしまいます。
標識の左に雪のついた山があるのがわかるでしょうか。「馬蹄形」の山々の向こうに見えるのが巻機山、越後三山の山並みです。随分わかる山が増えたものです。これもひとつひとつ登ったからなんでしょうね。
そして西の方面に見えるのが、かつて積雪期に目に焼き付けた稜線「谷川連峰主脈」の山々です。オジカ沢ノ頭、万太郎山、仙ノ倉山、平標の山々がほぼ一直線に連なって見えます。まるで惑星直列のような美しさです。(なんのことやら…)
「平標」無造作な標識がかえって緊張を高めます。ここから後半戦スタートです。気を引き締めて行きましょう。
一気に人がいなくなりました。笹原の中の小道をずんずん下って、少しづつ登り返してオジカ沢ノ頭へ。左手にとても綺麗な稜線を描いた目立つ山があります。両側切り立っていて頂上へ立ち上がる稜線は目を逸らそうにもすぐにまた見てしまう至極の稜線です。俎嵓(まないたぐら)というそうです。
オジカ沢ノ頭のすぐ下に避難小屋があって、そこは俎嵓への分岐点となっていて注意書きが置かれていました。「この先、俎嵓で行き止まり。途中に滑落の危険箇所があるなど登山道として整備していないので通行注意」
ここまでで数少ないすれ違った人に「どこからですか?」と聞くと「俎嵓ピストンです」と言っていたのを思い出す。あんまり記録を目にしたことないけれど、実は気づいていないだけかもしれない。
大障子ノ頭の手前にある避難小屋で今夜は宿泊です。稜線すぐ近くまで雪渓があるものの、水場は見つけられませんでした。雪渓を溶かして水を作るのが面倒なので、用心のために担いできた2リットルの水で賄うことにします。重たかったけれど持ってきてよかった。
日が暮れるのを眺めながら小屋の前でウイスキーをちびり、というか、のどが渇いているので続けざまに飲んで、すぐに飲み干してしまった。
晩御飯は尾西のドライカレーにレトルトのカレー、アマノフーズのなめこの味噌汁。コーヒーを飲んだらあっという間に食事終了。あっけない…。
大相撲のラジオを聴きながらまどろんで18時には就寝しました。夕方から風が吹き出し、小屋の外でブオーブオーと音を立てているけれど、こういう時やはり小屋は安心です。小屋の中でシュラフに包まり続けました。でもお腹が空いてグーグー鳴り続けました。
風は夜半にやみました。小用で外へ出ると星の瞬きはわずかで、どうやら2日目は薄曇りのようですね。
3時半に自然と起きます。元々水を使わなくて済むように朝ごはんはファミリーマートで買った「ザ・メロンパン」。あまりつぶれずに持ってこれたので、ふわふわ感が味わえた。それとインスタントながらドリップしたコーヒー。悪くない。東京の水道水だけど…。クノールのつぶつぶコーンクリームスープを飲んで出発だ。残る水分はポカリスエットの粉末を溶いた1リットル分と300㏄くらい。なんとかこれで平標山の家までしのがなければなりません。
大障子ノ頭にはすぐに着いて次のターゲットは万太郎山。朝日が万太郎山に差してきましたが、薄曇りのせいかポヤーとした朱さです。空も前日と違って真っ青とはいきません。それでも十分なお天気ですけどね。
登りきったところで分岐点がありました。土樽駅への吾策新道のようです。眼下に万太郎谷。沢登りのルートで有名です。谷川連峰の概念をようやくつかめてきた。いろんなルートもやっと理解できてきたような気がします。
越路の避難小屋に着いて中を見ようと近づくと、ドアが開いて男性が顔を出しました。思いもしなかったのでびっくりしました。昨夜はここに泊ったそうです。あとで聞いたのですが、川古温泉から沢筋を越えて来たらしく雪渓の下を通過するような場面もあったそうです。越路は他にも主脈縦走の2人がいたので、結構混んでいたようです。大障子の小屋が一人使用だったのはラッキーというか贅沢だったですね。
万太郎山から仙ノ倉山の稜線も素晴らしいのだけど、ギャップが大きいです。眺めただけでちょっと疲れた感じがします。越路の男性と入れ替わりながら前後して歩きました。2人とも黙々と歩きます。
なんとかエビス大黒の頭に登ると、初めて逆方向に歩く方とすれ違う。女性一人だった。
そこからまた下がって避難小屋からまた上がる。さあみなさん、最後の登りですぞ。頑張りましょう。
今度はアストラのシューズを履いた4人組の男性とすれ違う。楽しそうに会話していて、足元が軽いからだろうか、4人とも軽やかさを感じる。アストラの靴はちょっと憧れているのですよね。
がんばって仙ノ倉山に登った。谷川連峰の最高峰だ。黙々と登っていた越路の男性も山頂に着いた瞬間笑顔となり、私もうれしくなりました。
先に越路を出発していた主脈縦走の2人とここで出会う。
「この時期の主脈縦走は水場がない。水を担ぐのをみんな嫌って、馬蹄形に行く。でも主脈縦走のベストシーズンは今です。夏場は日影がないので暑さでやられてしまう」と話していました。水2リットルを担ぎ上げたのが賢明な判断だったと褒められたような気がして、ますますうれしくなった。
人も多くいてここからはちょっとした下界です。平標山への稜線は素晴らしい。平標山の背後に苗場山が屏風のようにたっているのが格好いいのです。
平標山はさらに人が増えました。時間も9時です。平標山の家はキーマカレーが有名で、ダメ元で寄ってみることにしました。水は残り500mlくらいあリますが、余裕をみて水を汲んでいきたいし。
階段をずんずん下っていくと30分くらいで平標山の家に着きました。カレーの案内はなく休憩中っぽいのであきらめて、水だけ汲んで下山にかかりました。ここの水は冷たくて噂通りとてもおいしかったです。山の家からは見事なくらい階段が続きます。新緑の緑が下りるに従って濃くなっていくような気がしました。鳥のさえずりも騒がしい、とても気持ちの良い森です。
林道に出ました。長い林道を歩くと11時過ぎに平標登山口に到着。ゆっくり後片付けをしながら11時45分のバスを待ちました。ここのバスは現金のみなのでご注意くださいね。
終わってみればタイム的にもタクティクス的にも満足できる縦走となりました。これも主脈稜線の手強さゆえのことでしょう。アップダウンがあるし、仙ノ倉山なんかはスケールもそこそこ大きいので登りごたえがありました。
高山植物はまだ少なかったけれど、6月のピークはさぞ咲き誇るのだろうなと想像し得るものでした。小屋も予約でいっぱいのようです。
北関東で目標にしていた縦走をやりとげることができました。この調子で夏のシーズンに突入したいものです。
↓越後湯沢駅前の「レストランゆざわ」でチキンカツレツ
■谷川連峰主脈 2024/5/18-19
1.土合(9:00/13:15)オキの耳(13:30/15:35)大障子避難小屋
2.大障子避難小屋(4:10/8:05)仙ノ倉山(8:20/9:25)平標山の家(9:35/11:10)平標登山口バス停
高崎線、上越線を乗り継いで土合駅に到着します。モグラ駅の階段を黙々と登ります。土合の階段を上るのは白毛門以来2回目で、もう要領を得たものです。明るい地上に出たら駅を出て右のトイレで用を済ませ、準備を整え出発するともう午前9時です。先は長い。急がねば。
ロープウェー駅を通り過ぎてすぐに谷川岳山岳資料館がありました。資料館前には群馬県岳連の八木原圀明さんの写真パネルがありました。群馬県岳連といえば、すぐにエベレストBCで「ひだまり肌着」を着込んだ、例の登山隊がずらりと並んだ写真が思い出されますね(笑)知らない方は一度検索してみてください。インパクト大ですよ。
林道を行くとまもなくで西黒尾根入口です。日本三大急登の一つと言われているのですが(あと2つは烏帽子岳のブナ立尾根と甲斐駒の黒戸尾根)、のっけからいきなりの先制パンチを受けました。鉄塔下まで上り詰め、ちょっとは緩やかになるかなと期待したのですが、「三大」をバカにしてはいけません。急登は止まりませんから。
樹林帯を抜けパッと展望が開けると、天神平のロープウェーの施設を見下ろすところまで上がって来てました。「わー」と思わず声を出した後に、休憩中のご夫婦らしい方に気づきました。ちょっと気まづかった…
対面には白毛門から続く馬蹄形の山々、上州武尊山、赤城山が見えます。しかしいい天気だな〜
荒々しい谷川岳東面が見えますが、本チャンのクライミングで有名な一の倉沢などはここからは見えません。いつかは見たいですね。クライミングとして登りに来るのはちと無理でしょう、さすがに。
ラクダの背の前後から岩場がぐっと増え、黄色いペイントを目印にどんどん高度を上げていきます。
蛇紋岩と呼ばれる岩は登山者によってつるつるに磨かれ、靴底が擦れて黒くなっているところもありました。この岩滑りやすいので有名なんですよね。尾瀬の至仏山でもありました。
きょうは晴れて岩がよく乾いているからなのか、下山ルートに使う人が多いのが意外でした。私はこの下りはちょっと嫌だな。
尾根の突き当りを登りきると雪渓が現れました。キックステップで登って天神尾根と合流です。
トマの耳に続きオキの耳も登って今一度大パノラマを堪能しました。さすが百名山だけあって多くの登山者で賑わっています。こういうところに来るとなんとなくすぐに立ち去りたくなってしまいます。
標識の左に雪のついた山があるのがわかるでしょうか。「馬蹄形」の山々の向こうに見えるのが巻機山、越後三山の山並みです。随分わかる山が増えたものです。これもひとつひとつ登ったからなんでしょうね。
そして西の方面に見えるのが、かつて積雪期に目に焼き付けた稜線「谷川連峰主脈」の山々です。オジカ沢ノ頭、万太郎山、仙ノ倉山、平標の山々がほぼ一直線に連なって見えます。まるで惑星直列のような美しさです。(なんのことやら…)
「平標」無造作な標識がかえって緊張を高めます。ここから後半戦スタートです。気を引き締めて行きましょう。
一気に人がいなくなりました。笹原の中の小道をずんずん下って、少しづつ登り返してオジカ沢ノ頭へ。左手にとても綺麗な稜線を描いた目立つ山があります。両側切り立っていて頂上へ立ち上がる稜線は目を逸らそうにもすぐにまた見てしまう至極の稜線です。俎嵓(まないたぐら)というそうです。
オジカ沢ノ頭のすぐ下に避難小屋があって、そこは俎嵓への分岐点となっていて注意書きが置かれていました。「この先、俎嵓で行き止まり。途中に滑落の危険箇所があるなど登山道として整備していないので通行注意」
ここまでで数少ないすれ違った人に「どこからですか?」と聞くと「俎嵓ピストンです」と言っていたのを思い出す。あんまり記録を目にしたことないけれど、実は気づいていないだけかもしれない。
大障子ノ頭の手前にある避難小屋で今夜は宿泊です。稜線すぐ近くまで雪渓があるものの、水場は見つけられませんでした。雪渓を溶かして水を作るのが面倒なので、用心のために担いできた2リットルの水で賄うことにします。重たかったけれど持ってきてよかった。
日が暮れるのを眺めながら小屋の前でウイスキーをちびり、というか、のどが渇いているので続けざまに飲んで、すぐに飲み干してしまった。
晩御飯は尾西のドライカレーにレトルトのカレー、アマノフーズのなめこの味噌汁。コーヒーを飲んだらあっという間に食事終了。あっけない…。
大相撲のラジオを聴きながらまどろんで18時には就寝しました。夕方から風が吹き出し、小屋の外でブオーブオーと音を立てているけれど、こういう時やはり小屋は安心です。小屋の中でシュラフに包まり続けました。でもお腹が空いてグーグー鳴り続けました。
風は夜半にやみました。小用で外へ出ると星の瞬きはわずかで、どうやら2日目は薄曇りのようですね。
3時半に自然と起きます。元々水を使わなくて済むように朝ごはんはファミリーマートで買った「ザ・メロンパン」。あまりつぶれずに持ってこれたので、ふわふわ感が味わえた。それとインスタントながらドリップしたコーヒー。悪くない。東京の水道水だけど…。クノールのつぶつぶコーンクリームスープを飲んで出発だ。残る水分はポカリスエットの粉末を溶いた1リットル分と300㏄くらい。なんとかこれで平標山の家までしのがなければなりません。
大障子ノ頭にはすぐに着いて次のターゲットは万太郎山。朝日が万太郎山に差してきましたが、薄曇りのせいかポヤーとした朱さです。空も前日と違って真っ青とはいきません。それでも十分なお天気ですけどね。
登りきったところで分岐点がありました。土樽駅への吾策新道のようです。眼下に万太郎谷。沢登りのルートで有名です。谷川連峰の概念をようやくつかめてきた。いろんなルートもやっと理解できてきたような気がします。
越路の避難小屋に着いて中を見ようと近づくと、ドアが開いて男性が顔を出しました。思いもしなかったのでびっくりしました。昨夜はここに泊ったそうです。あとで聞いたのですが、川古温泉から沢筋を越えて来たらしく雪渓の下を通過するような場面もあったそうです。越路は他にも主脈縦走の2人がいたので、結構混んでいたようです。大障子の小屋が一人使用だったのはラッキーというか贅沢だったですね。
万太郎山から仙ノ倉山の稜線も素晴らしいのだけど、ギャップが大きいです。眺めただけでちょっと疲れた感じがします。越路の男性と入れ替わりながら前後して歩きました。2人とも黙々と歩きます。
なんとかエビス大黒の頭に登ると、初めて逆方向に歩く方とすれ違う。女性一人だった。
そこからまた下がって避難小屋からまた上がる。さあみなさん、最後の登りですぞ。頑張りましょう。
今度はアストラのシューズを履いた4人組の男性とすれ違う。楽しそうに会話していて、足元が軽いからだろうか、4人とも軽やかさを感じる。アストラの靴はちょっと憧れているのですよね。
がんばって仙ノ倉山に登った。谷川連峰の最高峰だ。黙々と登っていた越路の男性も山頂に着いた瞬間笑顔となり、私もうれしくなりました。
先に越路を出発していた主脈縦走の2人とここで出会う。
「この時期の主脈縦走は水場がない。水を担ぐのをみんな嫌って、馬蹄形に行く。でも主脈縦走のベストシーズンは今です。夏場は日影がないので暑さでやられてしまう」と話していました。水2リットルを担ぎ上げたのが賢明な判断だったと褒められたような気がして、ますますうれしくなった。
人も多くいてここからはちょっとした下界です。平標山への稜線は素晴らしい。平標山の背後に苗場山が屏風のようにたっているのが格好いいのです。
平標山はさらに人が増えました。時間も9時です。平標山の家はキーマカレーが有名で、ダメ元で寄ってみることにしました。水は残り500mlくらいあリますが、余裕をみて水を汲んでいきたいし。
階段をずんずん下っていくと30分くらいで平標山の家に着きました。カレーの案内はなく休憩中っぽいのであきらめて、水だけ汲んで下山にかかりました。ここの水は冷たくて噂通りとてもおいしかったです。山の家からは見事なくらい階段が続きます。新緑の緑が下りるに従って濃くなっていくような気がしました。鳥のさえずりも騒がしい、とても気持ちの良い森です。
林道に出ました。長い林道を歩くと11時過ぎに平標登山口に到着。ゆっくり後片付けをしながら11時45分のバスを待ちました。ここのバスは現金のみなのでご注意くださいね。
終わってみればタイム的にもタクティクス的にも満足できる縦走となりました。これも主脈稜線の手強さゆえのことでしょう。アップダウンがあるし、仙ノ倉山なんかはスケールもそこそこ大きいので登りごたえがありました。
高山植物はまだ少なかったけれど、6月のピークはさぞ咲き誇るのだろうなと想像し得るものでした。小屋も予約でいっぱいのようです。
北関東で目標にしていた縦走をやりとげることができました。この調子で夏のシーズンに突入したいものです。
↓越後湯沢駅前の「レストランゆざわ」でチキンカツレツ
■谷川連峰主脈 2024/5/18-19
1.土合(9:00/13:15)オキの耳(13:30/15:35)大障子避難小屋
2.大障子避難小屋(4:10/8:05)仙ノ倉山(8:20/9:25)平標山の家(9:35/11:10)平標登山口バス停
月山〜今日ほどテレマークターンができた日はない〜 [テレマークがうまくなりたい!]
月山周辺ではこれまで志津の近くや湯殿山、村山葉山の927峰でスキーをしたことがありますが、月山のピークそのものには登ったことがありません。2週間前の八甲田が本来ならスキー納めとなるところですが、余勢をかって月山にも行くことにしました。
夜行バスを調べたのですが「スキー板やボードは取り扱いません」との但し書きがあって、そうなると新幹線しかないとなりまして、JRのダイナミック・レールパックで新幹線代と宿泊代込みで20,400円のコースがありましたのでポチっとしてしまいました。
翌日は山交バスセンター7時20分発のバスに乗って西川BSで町営バスに乗り換え、姥沢(うばさわ)に着いたのは9時35分ごろ。急いで準備をしてリフト乗り場に15分ほど雪道を歩きます。
リフト1回券800円を買って外へ出てみますとガーン。すごい行列です。
駐車場では世田谷ナンバーの車も見かけたたので、日本全国からここ月山に集結していると言っても良いかもしれません。まあ私もそのうちの一人ですけどね。
列は100メートルくらいあったと思うのですが、これが割と流れが良くて15分ほど待つと無事リフトに乗ることができました。ペアリフト1本だけでこれだけの集客力ですから非常に効率的と言えるでしょう。
リフトに乗りますと、左手に姥ヶ岳とスキー場の「大斜面」が見えてきます。もう多くのスキーヤーが名物のコブに挑戦しています。初見参の私にとっては「うわー」と感動の声をあげたいところですが、おっさんがわーきゃー言うとさすがにお隣の相席の方も怖がられると思いますので、心の中だけにとどめておきました。
さてリフト終点ですぐにスキーで歩き出します。スキー場管理外の竹竿を超えて白い尾根を超えますと、あらわれました、月山です。↓クリックすると大きくなります
来たー!月山だ。優しいな。月の山だもんな。
↓ここから引用
↑ここまで引用
文献を重視する深田久弥氏にしては、「感じがあったに違いない」とえらくぼんやりとした結論付けているのがおかしく思えます。まあ、それほどこの山容は人の心を魅了することなのでしょう。
姥ヶ岳を経由して行くこともあるようですが、スキー板を履いているのならば、ここは月山を絶えず正面に見ながら大きな雪上をペタペタと行きましょう。
振り返ると白い山々が峰を連ねています。朝日連峰です。
手前は以東岳、左手の顕著なピークが大朝日岳だろうか?月山と朝日連峰がこんなに近いなんてつい最近まで知りませんでした。
いつか朝日連峰にはいかなくては。その時は縦走がふさわしいと今から決めています。
さて尾根からちょっとした雪壁に突き当たります。さっさとスキー板をリュックに付けてシートラです。以前は「いけるところまでシール登高で」と頑張っていたのですが、ここのところあまりスタイルにこだわらないようになりました。結局その時そのときで一番体力の消耗しない登り方で登ればいいのです。
そのうち雪が消え土の道となりました。石の壁が見えましたので、人工物があるなと思っていたら(「頂上かも」と期待したことは否定しません笑)、そこは鍛治小屋跡で比較的新しそうなお地蔵様がいらっしゃいました。可愛らしいお顔でした。
スキーを担いでえっちらおっちら登っていますとついに頂上稜線です。左手に向きを変えると建物がたくさん建っているところが見えます。あれが頂上です。平坦な道を歩いて鳥居をくぐって行きますと、真剣に石囲いした宗教施設のようでしたので右手の雪面に移動し、鳥海山目当てにさらにその先まで足を伸ばします。
知らなかったのですが、その鳥海山が良く見えるあたりが三角点があるところだったようです。
鳥海山はぽっかり雲の上に浮かんでいるかのようです。猛禽類の翼を思わせるかのような裾野の広がり方が猛々しくてたまりません。
さて頂上はともかく先ほどから私の心をつかんでいるのは、眼下に広がる「月山東斜面」です。なんとも雄大でなだらかなオープンバーンが広がっています。↓クリックすると大きくなります
時間は12時15分ごろで、予定より早く着きました。ここは滑っておくべしでしょう。もう、たまらなくなってスキーモードにチェンジ!です。そして滑ってみると、1回、2回、3回、右に左にもう一回右に。
こんなにテレマークターンが決まったのは生まれて初めてです。
前兆はありました。八甲田で課題だった左へのターンが意識して重心を低くすることで自然と足が開くようになっていたのです。「わかったかもしれん」のか、いつもの勘違いなのか?
それが「前よりはわかった」との確信に変わりました!(←弱い確信)
ご機嫌で頂上稜線に登り返します。こういう時もウロコ板だといちいちシールを履かなくて済むので楽チンです。土道となり、しばらく板を担いで雪のあるところまで戻って来ました。ここでは他の人の視線を感じて緊張してしまい1回こけましたが、その後はぐーんと距離を伸ばします。ターンも何回も決めて…ヒャッホー!最高だ。
あまり滑りすぎると登り返すのがしんどいので、できるだけ高度を下げないようトラバース気味で滑ります。最後はウロコ板パワーでブッシュが見える小尾根を越えるとスキー場のリフト上駅を見下ろすことができました。スキー場はもうすごい人です。
姥ヶ岳へ登る時間もあるのですが「このまま美しい思い出だけを持って帰りたい」と余計なことをせずに帰ることにします。大体欲張ると失敗するものです。
沢コースを素直に滑りましたが、さすがにだいぶ荒れています。コーチの指導を受けている子供達がめちゃ上手です。
全国大会のシャツを着ている若い男女のチームもいます。多分すごいやつらなんだと思います。自分の居場所ではなかろうと、私は降りることに集中です。
14時過ぎに姥沢に着いたのに、バスが1415だと知らずに数分の差で乗り過ごし(とほほ)1時間45分たっぷり待ちました。この間ブユの攻撃を受けて何箇所か噛まれてしまった。
16時出発の町営バスの後は西川ICで山形駅行きの高速バス待ちです。乗り継ぎの便は仙台行きの方が便利ですが、ツアーなので山形発の新幹線に乗らないわけには行きません。これから検討される方は仙台起点で考えると良いかもしれません。
およそ1時間待ってやっと高速バスに乗ることができました。1時間くらいの時間待ちはだいぶ慣れてしまいましたけどね。
タイトルにも書きましたが、恥ずかしながら「今日ほどテレマークターンができた日はない」です。ですから月山のこの滑りは私にとって「テレマークターン記念日」と言っても良いかと思います。まあいつも「わかったかもしれない」と思い続けているのですけどね(笑)
■月山 2024/5/11
月山リフト上駅(10:30/12:15)月山山頂(12:40/13:30)リフト上駅(13:45/14:05)姥沢
夜行バスを調べたのですが「スキー板やボードは取り扱いません」との但し書きがあって、そうなると新幹線しかないとなりまして、JRのダイナミック・レールパックで新幹線代と宿泊代込みで20,400円のコースがありましたのでポチっとしてしまいました。
翌日は山交バスセンター7時20分発のバスに乗って西川BSで町営バスに乗り換え、姥沢(うばさわ)に着いたのは9時35分ごろ。急いで準備をしてリフト乗り場に15分ほど雪道を歩きます。
リフト1回券800円を買って外へ出てみますとガーン。すごい行列です。
駐車場では世田谷ナンバーの車も見かけたたので、日本全国からここ月山に集結していると言っても良いかもしれません。まあ私もそのうちの一人ですけどね。
列は100メートルくらいあったと思うのですが、これが割と流れが良くて15分ほど待つと無事リフトに乗ることができました。ペアリフト1本だけでこれだけの集客力ですから非常に効率的と言えるでしょう。
リフトに乗りますと、左手に姥ヶ岳とスキー場の「大斜面」が見えてきます。もう多くのスキーヤーが名物のコブに挑戦しています。初見参の私にとっては「うわー」と感動の声をあげたいところですが、おっさんがわーきゃー言うとさすがにお隣の相席の方も怖がられると思いますので、心の中だけにとどめておきました。
さてリフト終点ですぐにスキーで歩き出します。スキー場管理外の竹竿を超えて白い尾根を超えますと、あらわれました、月山です。↓クリックすると大きくなります
来たー!月山だ。優しいな。月の山だもんな。
↓ここから引用
月山の名の起こりは、半輪の月の形からではなく、その山を仰ぐ人々が彼等の最も尊崇している農業の神、月読尊(つきよみのみこと)を祀ったからである。しかし、その心の底には、やはり月のように優しい山という感じがあったに違いない。(日本百名山)
↑ここまで引用
文献を重視する深田久弥氏にしては、「感じがあったに違いない」とえらくぼんやりとした結論付けているのがおかしく思えます。まあ、それほどこの山容は人の心を魅了することなのでしょう。
姥ヶ岳を経由して行くこともあるようですが、スキー板を履いているのならば、ここは月山を絶えず正面に見ながら大きな雪上をペタペタと行きましょう。
振り返ると白い山々が峰を連ねています。朝日連峰です。
手前は以東岳、左手の顕著なピークが大朝日岳だろうか?月山と朝日連峰がこんなに近いなんてつい最近まで知りませんでした。
いつか朝日連峰にはいかなくては。その時は縦走がふさわしいと今から決めています。
さて尾根からちょっとした雪壁に突き当たります。さっさとスキー板をリュックに付けてシートラです。以前は「いけるところまでシール登高で」と頑張っていたのですが、ここのところあまりスタイルにこだわらないようになりました。結局その時そのときで一番体力の消耗しない登り方で登ればいいのです。
そのうち雪が消え土の道となりました。石の壁が見えましたので、人工物があるなと思っていたら(「頂上かも」と期待したことは否定しません笑)、そこは鍛治小屋跡で比較的新しそうなお地蔵様がいらっしゃいました。可愛らしいお顔でした。
スキーを担いでえっちらおっちら登っていますとついに頂上稜線です。左手に向きを変えると建物がたくさん建っているところが見えます。あれが頂上です。平坦な道を歩いて鳥居をくぐって行きますと、真剣に石囲いした宗教施設のようでしたので右手の雪面に移動し、鳥海山目当てにさらにその先まで足を伸ばします。
知らなかったのですが、その鳥海山が良く見えるあたりが三角点があるところだったようです。
鳥海山はぽっかり雲の上に浮かんでいるかのようです。猛禽類の翼を思わせるかのような裾野の広がり方が猛々しくてたまりません。
さて頂上はともかく先ほどから私の心をつかんでいるのは、眼下に広がる「月山東斜面」です。なんとも雄大でなだらかなオープンバーンが広がっています。↓クリックすると大きくなります
時間は12時15分ごろで、予定より早く着きました。ここは滑っておくべしでしょう。もう、たまらなくなってスキーモードにチェンジ!です。そして滑ってみると、1回、2回、3回、右に左にもう一回右に。
こんなにテレマークターンが決まったのは生まれて初めてです。
前兆はありました。八甲田で課題だった左へのターンが意識して重心を低くすることで自然と足が開くようになっていたのです。「わかったかもしれん」のか、いつもの勘違いなのか?
それが「前よりはわかった」との確信に変わりました!(←弱い確信)
ご機嫌で頂上稜線に登り返します。こういう時もウロコ板だといちいちシールを履かなくて済むので楽チンです。土道となり、しばらく板を担いで雪のあるところまで戻って来ました。ここでは他の人の視線を感じて緊張してしまい1回こけましたが、その後はぐーんと距離を伸ばします。ターンも何回も決めて…ヒャッホー!最高だ。
あまり滑りすぎると登り返すのがしんどいので、できるだけ高度を下げないようトラバース気味で滑ります。最後はウロコ板パワーでブッシュが見える小尾根を越えるとスキー場のリフト上駅を見下ろすことができました。スキー場はもうすごい人です。
姥ヶ岳へ登る時間もあるのですが「このまま美しい思い出だけを持って帰りたい」と余計なことをせずに帰ることにします。大体欲張ると失敗するものです。
沢コースを素直に滑りましたが、さすがにだいぶ荒れています。コーチの指導を受けている子供達がめちゃ上手です。
全国大会のシャツを着ている若い男女のチームもいます。多分すごいやつらなんだと思います。自分の居場所ではなかろうと、私は降りることに集中です。
14時過ぎに姥沢に着いたのに、バスが1415だと知らずに数分の差で乗り過ごし(とほほ)1時間45分たっぷり待ちました。この間ブユの攻撃を受けて何箇所か噛まれてしまった。
16時出発の町営バスの後は西川ICで山形駅行きの高速バス待ちです。乗り継ぎの便は仙台行きの方が便利ですが、ツアーなので山形発の新幹線に乗らないわけには行きません。これから検討される方は仙台起点で考えると良いかもしれません。
およそ1時間待ってやっと高速バスに乗ることができました。1時間くらいの時間待ちはだいぶ慣れてしまいましたけどね。
タイトルにも書きましたが、恥ずかしながら「今日ほどテレマークターンができた日はない」です。ですから月山のこの滑りは私にとって「テレマークターン記念日」と言っても良いかと思います。まあいつも「わかったかもしれない」と思い続けているのですけどね(笑)
■月山 2024/5/11
月山リフト上駅(10:30/12:15)月山山頂(12:40/13:30)リフト上駅(13:45/14:05)姥沢
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