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「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」驚きはしなかったけど… [山の本、TVなどメディア関係]

 「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」を読みました。北海道のテレビ局社員の河野啓さんが書いたものです。河野さんは栗城さんの番組を何本か制作しました。いわば栗城さんを世の中に紹介した立役者といった人物です。

 やっぱりそうか、という内容でした。方々でハレーションを起こしながらも、なぜか憎めない奴という人物像も想像通り。しかし活動の肥大化が命を縮める結果を招いてしまった経緯も「ある程度まで」は想像通り。
 なぜ止められなかったのか、との問いに、多くの関係者が「言っても彼はいうことを聞かない」と答えています。結局栗城さんが腹を割って話せる人がいなかったのですね。

 この本は良くも悪くも話題となっているようで、その中でメディアの責任の有無が取りざたされています。登山専門誌は山岳界からの冷静な目線で論評をするべきだったとか(山と渓谷は一度、単独無酸素を「その言葉に値しない」と評したそうです)、テレビやインターネットは「七大陸単独無酸素」という無責任なキャッチフレーズを真に受けるべきではなかったとか、繰り返される計画の杜撰さからも紹介するに値するものかどうか判断できたはずだとか。

 安易に「ヒーロー」を作り出す部分はマスメディアの典型的なところで反省すべき点です(山岳番組で実績のあるNHKが取り上げたのは謎ですけど)。しかし批判=個人攻撃をマスメディアがどこまでできるのでしょうか?政治家などは公人としてその対象になるでしょうが、栗城さんは公人とまで言えるのでしょうか?直接的に被害を被ったような声は聞きません。マスメディアが個人攻撃をしたらしたで怖いような気もします。

 テレビに出るような人の経歴詐称が時々明るみに出ることがありますが、メディアの取材活動も本人からの申告が基本となっているのだと思います。複数でウラを取るのが基本だといっても実際のところは限界があるのではと思います。

 特に最近はSNSで本人が直接発信できるようになり、情報は凄まじい量になっています。知らず知らずのうちに情報が一人歩きして、誤った言論や行動に繋がる事例は珍しくなくなりました。
 特にSNS×メディアの相乗効果は、時に発信した自分たちでさえ想像できないほどの反響を呼ぶことがあり、一旦流れができてしまうと誰も収拾をつけられなくなると思います。

 栗城さんが話題となっていた頃のことを思い返すと、インターネット上では栗城さんの擁護派と批判派がいつも互いを攻撃し応酬していました。そしてそれなりの数の人が栗城さんの活動で元気づけられたと言っていたように思います。それはそれで誰もできないことをしていて、私は「一方的に批判はできないな」と思っていました。

 広告塔として利用したスポンサー、ブームに乗っかったメディア、それにSNSの拡散力が加わり「栗城史多」という偶像を作り上げてしまった。こうした流れをどうやったら止めることができたのでしょうか?
 できるかどうかは別として、この流れを止められるのは、やはり本人しかいなかったのではないかと私は思いました。

 いろんな受け止め方があると思います。色々考えさせられる本でした。

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デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 (集英社学芸単行本)

デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 (集英社学芸単行本)

  • 作者: 河野啓
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2020/11/26
  • メディア: Kindle版



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