情熱大陸「平出和也」来年狙うK2の未踏ルート [山の本、TVなどメディア関係]
6/14に放送された情熱大陸「平出和也〜世界最強のクライマーが、前人未踏のルートを切り拓く」を見ました。
最近ずっとパートナーとなっている中島健郎さんとパキスタン・カラコルムのラカポシ南壁を新ルートから登頂しています。Rock&Snow085によると、BC(3660m)入りが6/16。高所順応をへて、6/27BCを出発し、7/2に登頂しています。
シスパーレの登攀でピオレドールに輝いた二人のクライマーは、どちらも撮影することができるのが素晴らしいですね。これまで山岳の撮影といえばNHKの山岳班の独壇場でしたが、2人はアクションカメラ(GoProなど)とドローンを駆使します。ラカポシの頂上でドローンを飛ばすのですから、笑うしかないですよね。映像への執着心がすごいです。
さて近況は新型コロナウイルスの影響で自宅でトレーニングする2人ですが、来年6月にK2に再挑戦するそうです。平出さんは最近の山行では体力の衰えを感じることが多くなったと吐露しますが、「まだ終われない」とも話していました。
平出さんは現在41歳。これほど登山に打ち込んでいる人でも体力の衰えを感じているとは辛い現実です。極限の状況では一瞬のミスが生死を分けるということなんでしょう。
好きなことを続けるのは、他人が思うほど簡単なことではない。
一方で中島健郎さんは「技術や体力で山は登れない。パートナーが大事」という旨の話をしていました。高いレベルでお互いを信頼できるパートナーを得ることができたのは奇跡とも言えると思います。
オンラインでの打ち合わせ風景で平出さんがスマホを見ていました。K2の北西稜と西稜の間に挟まれた部分、西壁がアップで映し出されていました。かつてクルティカが何度も挑戦したルートでしょうか。世界最強、否、お互いを信頼しているペアの挑戦を見守りたいと思います。
演出:和田萌
撮影:中島健郎、倉渕宏幸
プロデューサー:中村卓也、重乃康紀
制作協力:オルタスジャパン
最近ずっとパートナーとなっている中島健郎さんとパキスタン・カラコルムのラカポシ南壁を新ルートから登頂しています。Rock&Snow085によると、BC(3660m)入りが6/16。高所順応をへて、6/27BCを出発し、7/2に登頂しています。
シスパーレの登攀でピオレドールに輝いた二人のクライマーは、どちらも撮影することができるのが素晴らしいですね。これまで山岳の撮影といえばNHKの山岳班の独壇場でしたが、2人はアクションカメラ(GoProなど)とドローンを駆使します。ラカポシの頂上でドローンを飛ばすのですから、笑うしかないですよね。映像への執着心がすごいです。
さて近況は新型コロナウイルスの影響で自宅でトレーニングする2人ですが、来年6月にK2に再挑戦するそうです。平出さんは最近の山行では体力の衰えを感じることが多くなったと吐露しますが、「まだ終われない」とも話していました。
平出さんは現在41歳。これほど登山に打ち込んでいる人でも体力の衰えを感じているとは辛い現実です。極限の状況では一瞬のミスが生死を分けるということなんでしょう。
好きなことを続けるのは、他人が思うほど簡単なことではない。
一方で中島健郎さんは「技術や体力で山は登れない。パートナーが大事」という旨の話をしていました。高いレベルでお互いを信頼できるパートナーを得ることができたのは奇跡とも言えると思います。
オンラインでの打ち合わせ風景で平出さんがスマホを見ていました。K2の北西稜と西稜の間に挟まれた部分、西壁がアップで映し出されていました。かつてクルティカが何度も挑戦したルートでしょうか。世界最強、否、お互いを信頼しているペアの挑戦を見守りたいと思います。
演出:和田萌
撮影:中島健郎、倉渕宏幸
プロデューサー:中村卓也、重乃康紀
制作協力:オルタスジャパン
銀嶺の空白地帯に挑む カラコルム・シスパーレ ディレクターズカット版 [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: NHKエンタープライズ
- 発売日: 2018/05/25
- メディア: Blu-ray
サロモンのトレッキングシューズを買ってみました [クライミングを復活させたい]
フリークライマー杉野保さんが亡くなったのを初めて知った [山の本、TVなどメディア関係]
フリークライマーの杉野保さんが亡くなったのをRock&Snow088(2020夏)で初めて知りました。2020年3月5日。城ヶ崎の「おとじろう」と呼ばれる岩場で、偵察中に強風か高波によって墜落したと思われるとのこと。
私が雑誌「岩と雪」を初めて買ったのは1988年ですが、杉野さんはこの頃にはすでにクロニクルの常連でした。例えば城ヶ崎のシンデレラ・ボーイ(5.13b)の再登情報には「これまでの成功は初登の大岩純一以下、平山裕示、杉野保、矢島隆明、保科雅則である」とあります。(岩と雪133号)実に懐かしく錚々たるメンバーです。
クライミングシューズの履き比べの企画で杉野さんの顔写真が出ていて、いかにも穏やかそうな人なのが、妙に印象深いです。(岩と雪126、162号)
1989年6月の日本フリークライミング協会の設立時の理事の中に名前を連ねていたり、コンペでも第2回フリークライミング選手権大倉カップで5位(岩と雪142号)、ジャパンカップで3位(岩と雪144号)など要所では必ず名前があったものの、当時はアクの強いクライマーが多かったためか(笑)露出という面では目立つ存在とは言えなかったと思います。
杉野さんの文章がまとまった形で出たのは岩と雪148〜151号で連載された「アメリカにボルトを探して」だと思います。①ケイブ・ロック、②スミスロック&レッドロックス、③アメリカン・フォーク・キャニオン、④ヨセミテの計四回の連載です。
正直なところ岩場の紹介なのか紀行なのかちょっと中途半端な感じの文章なのですが、最後のヨセミテが面白かったです。ヨセミテにもボルトルートがどんどんできていた時代。杉野さんたちが行くと、なるほど多くのボルトルートがありました。しかし小さな岩場に無理矢理拓かれたルートを登っていて杉野さんは物足りなさといけないことをしているように感じます。
パートナーが入れ替わって、杉野さんはロストラム・ルーフの新しいクラック・ルート「エクセレント・アドベンチャー」(5.13bピーター・クロフト初登)に挑みます。全長50メートル。ボルトルートではありえないプロテクションの数、残置されたアングル・ピトン。ルーフを前にして気が重くなったり、ロープの流れが悪くなったり。そして…
「落ちた落ちた。ルーフの下までぶっ飛んだ。ハーネスを支点にして、体が弓ぞってしまうフォールをしたなんていうのは久しぶりのことだ」
思いがけずクラック・ルートで楽しむことができた杉野さんは「その岩場にはそこでしか通用しない楽しみ方があり、そしてそれに伴うモラルがある」とし、各地のクライミングエリアで起きている軋轢の解決への方向性を示してみます。
2003年から始まった「OLD BUT GOLD」は各地のルートを訪ね挑戦していくもので大変好きなコーナーでしたが、今回再発見したヨセミテの文章にはその後の杉野さんの立ち位置表明のような、誰もが認める文章であり、クライミングに対する姿勢だったような気がします。
享年55歳。今回のRock&Snowに寄せられた追悼の多くの文章に、杉野さんの器の大きさが伺えるように思えます。ご冥福をお祈りいたします。
私が雑誌「岩と雪」を初めて買ったのは1988年ですが、杉野さんはこの頃にはすでにクロニクルの常連でした。例えば城ヶ崎のシンデレラ・ボーイ(5.13b)の再登情報には「これまでの成功は初登の大岩純一以下、平山裕示、杉野保、矢島隆明、保科雅則である」とあります。(岩と雪133号)実に懐かしく錚々たるメンバーです。
クライミングシューズの履き比べの企画で杉野さんの顔写真が出ていて、いかにも穏やかそうな人なのが、妙に印象深いです。(岩と雪126、162号)
1989年6月の日本フリークライミング協会の設立時の理事の中に名前を連ねていたり、コンペでも第2回フリークライミング選手権大倉カップで5位(岩と雪142号)、ジャパンカップで3位(岩と雪144号)など要所では必ず名前があったものの、当時はアクの強いクライマーが多かったためか(笑)露出という面では目立つ存在とは言えなかったと思います。
杉野さんの文章がまとまった形で出たのは岩と雪148〜151号で連載された「アメリカにボルトを探して」だと思います。①ケイブ・ロック、②スミスロック&レッドロックス、③アメリカン・フォーク・キャニオン、④ヨセミテの計四回の連載です。
正直なところ岩場の紹介なのか紀行なのかちょっと中途半端な感じの文章なのですが、最後のヨセミテが面白かったです。ヨセミテにもボルトルートがどんどんできていた時代。杉野さんたちが行くと、なるほど多くのボルトルートがありました。しかし小さな岩場に無理矢理拓かれたルートを登っていて杉野さんは物足りなさといけないことをしているように感じます。
パートナーが入れ替わって、杉野さんはロストラム・ルーフの新しいクラック・ルート「エクセレント・アドベンチャー」(5.13bピーター・クロフト初登)に挑みます。全長50メートル。ボルトルートではありえないプロテクションの数、残置されたアングル・ピトン。ルーフを前にして気が重くなったり、ロープの流れが悪くなったり。そして…
「落ちた落ちた。ルーフの下までぶっ飛んだ。ハーネスを支点にして、体が弓ぞってしまうフォールをしたなんていうのは久しぶりのことだ」
思いがけずクラック・ルートで楽しむことができた杉野さんは「その岩場にはそこでしか通用しない楽しみ方があり、そしてそれに伴うモラルがある」とし、各地のクライミングエリアで起きている軋轢の解決への方向性を示してみます。
2003年から始まった「OLD BUT GOLD」は各地のルートを訪ね挑戦していくもので大変好きなコーナーでしたが、今回再発見したヨセミテの文章にはその後の杉野さんの立ち位置表明のような、誰もが認める文章であり、クライミングに対する姿勢だったような気がします。
享年55歳。今回のRock&Snowに寄せられた追悼の多くの文章に、杉野さんの器の大きさが伺えるように思えます。ご冥福をお祈りいたします。