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雑多なこと 師走ですね [東京での登山と日常]

2022師走の築地

 ちょっと体調を崩していましてゆっくり療養させてもらいました。回復して週末に築地を覗いて見ましたら、多くの人で賑わっていました。
 さてその療養中のことですが、家でゆっくりしていますと、ネットフリックスで「First Love 初恋」を見てハマってしまい、満島ひかりさんが元々好きなんですが、全編すぐに見てしまいました。流れでひょんな事から「男はつらいよ お帰り寅さん」を見てしまい、元々嫌いではなかったので、さらに過去作品まで見ているというわけです。そういえば柴又って行ってなかったと思いつき早速行ってきました。

寅さん銅像

 こちらは築地ほど賑わっていませんでしたが、先日なくなった佐藤蛾次郎さんを偲ぶ張り紙がありました。また帝釈天では正月三が日の用意がなされていました。
 江戸川の川べりを歩き、寅さん記念館や山田洋次監督のミュージアムを見てから、参道に戻って草団子をいただきました。フジテレビのドラマから始まった寅さんシリーズですが、今となっては昭和の風景を記録した貴重な映画とも言えるなあと再認識。そうなると阪神大震災の時の回も見ないとなあと思っております。

柴又

 登り納めとしましては、先週は武甲山、今週は高尾山の縦走に行ってきました。富士山はすごく近くに見ることができました。リハビリも兼ねてのことですから、筋肉痛にもなりますが、まあそれも嬉しい今日この頃です。

高尾から見る富士山

 高尾山は多くの人で賑わっていて、ここでも大晦日と元旦に通行規制がかかるかもとのこと。どこも正常化ですね。

高尾山の山頂

 雪の振り方が尋常ではないので、雪山はもう少し安定してからにします。それではさて今日はこのくらいです。

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震災施設めぐり2日目 双葉の伝承館、請戸小学校、名取市の閖上 [東京での登山と日常]

 前日は廃炉資料館、とみおかアーカイブミュージアム、夜ノ森の桜並木、中間貯蔵工事情報センターをめぐり双葉町のビジネスホテルARM双葉に泊まりました
 今日はまず朝食をとってから歩いて10分ほどの海辺へ行ってみました。まだ新しい堤防に上がって海をみてみます。ここをどす黒い大きな津波が押し寄せ住宅も何もかもを押し流した様を想像してみると、胸苦しさを感じました。

双葉町の海岸

 双葉町は震災以来、唯一全町避難が続いていましたが、今年8月30日に特定復興再生拠点区域の居住が認められたそうです。11年5ヶ月ぶり…あまりにも長い年月です。
 町のHPによると2021年の住民意向調査では「戻りたいと考えている」は11.3%、「まだ判断がつかない」は24.8%なのに対して、「戻らないと考えている」は60.5%にのぼっています。

JR双葉駅前

 町の世帯数は8月と比べると11月30日時点で23世帯増えています。ほんの少し居住者が増えて来たということでしょうか。

消防の止まった時計

 双葉駅でシェアサイクル(100円デポジット形式)を借ります。これが大正解でした。ホテルをチェックアウトしてそのまま浪江町の請戸までご機嫌サイクリングです(強風でしたが)。
 海岸では「福島県復興祈念公園」の建設が進められていました。国営の追悼・祈念施設となる予定だそうです。

 請戸地区にやって来ました。この地区では死者行方者が154人を数えました。
 請戸漁港は高さ15メートルを超える津波で岸壁や堤防等ほとんどの施設が流出、倒壊したとのこと。福島原発に近いことから立ち入りができなくなり、復旧工事の着手自体が遅れました。出初め式が行えるようになったのは2018年、完全に工事が終わったのは2021年のことだそうです。

請戸漁港

 次に「奇跡の小学校」とも言われる請戸小学校です。2年生から6年生まで(1年生は先に下校していた)の82人が先生の誘導のもと近くの大平山まで登って全員無事で避難できたのです。学校校舎は今は「震災遺構」として見学ができるようになっています。津波は校舎の2階床面まで届いたということです。

請戸小学校

 説明員をしていた役場の方と話をしていますと、浪江町は震災前は2万人、今は1900人が居住しているそうです。浪江町は5年ほど前に帰還が始まったとのこと。1割に満たしませんが「みんな楽しく暮らしているんですよ」と笑顔で話していました。
 放射線量の数値の違いで町によってこんなに帰還時期の差があるのだと今更ながら思い知りました。

パネルに見る被災時の請戸小学校

 請戸小学校を後にして伝承館まで戻りシェアサイクルを返します。ここでは幅広い展示物があって全般的に震災の知識を得ることができました。

東日本大震災・原子力災害伝承館

有名な写真 双葉町にあった原子力PR

原子力災害伝承館

壊れた消防車

 シャトルバスに乗って双葉駅に戻り、常磐線を北上します。仙台の手前の名取駅で下車して、またまたレンタサイクルを借ります。こちらは300円。津波で大きな被害を受け、住宅再建のため土地のかさ上げを行なった閖上(ゆりあげ)地区がどうなっているか見たかったためです。
 レンタサイクルのおじさんは「閖上まで15分くらいかな」と言っていたのですが、なんのなんの40分かかりました(泣)。日暮れギリギリのタイミングです。

宮城県名取市閖上の水門

 こちらの震災の施設は冬時間として16時半までですので、入場は終わっていました。大きな駐車場があって。堤防上には「かわまちテラス閖上」という商業施設もオープンしているそうです。
 さて住宅地です。もちろんまだ空き地はありますが、想像していたより建設が進んでいると感じました。スーパーはあるし、体育館もあるし、空港が近いので職種によっては便利かもしれません。

閖上の住宅街

 また40分自転車をこいで名取駅に戻り、仙台へ。駅ナカの「牛たん通り」で牛タンを食べて(美味しかった)、新幹線で帰路につきました。

 今回は福島を回りましたが、双葉町が今年8月まで居住ができなかったのは知りませんでした。「もうなんとかなってるんだろう」との勝手な思い込みでした。また処理水の海洋放出、除去土壌の最終処分など問題が今なおあって地元住民に負担を押し付けている現状も再認識しました。
 東京五輪は「復興五輪」と位置付けられましたが、それも1年前に通り過ぎてしまいました。
 今回の震災施設をめぐる旅は、震災について考えるきっかけを与えてくれました。こうしたところを巡るツアーがもっとできればなあと思いましたし、実際「一般社団法人3.11伝承ロード推進機構」というのがあって施設の紹介がなされています。風化をさせない試みとして「震災施設をめぐる旅」は有効かもしれません。

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福島の震災施設めぐり1日目 廃炉、汚染水、中間貯蔵 [東京での登山と日常]

 「いつかは行かねば」と思っていた東日本大震災の被災地におもいきって行ってきました。いつの間にか震災の記憶をとどめようとする施設がたくさんできていて、とても良い経験となりました。と同時に福島の「まだまださ」も実感することができた。

 午前7時の上野発JR「ひたち1号」でいわきへ。各駅停車に乗り換え常磐線をさらに北上する。富岡駅に着いた時には小雨が降っていて「まじか」と思ったが、本降りとはならず10分ほど歩くと東京電力の廃炉資料館に着いた。ここは福島第一原発の現状説明と廃炉への道筋を丁寧に教えてくれる。職員らの対応は低姿勢に徹している。

東京電力廃炉資料館

 3号機と4号機の使用済み燃料は取り出し作業が終了していることを知った。1、2号機は後5年かかるようだ。燃料デブリはロボットアームでつかむところまできた。2019年時点でのロードマップでは廃止措置終了までの期間は30〜40年後。私は生きているだろうか…
 現在の一番の焦点は汚染水の海洋放出に関してで、東京電力からもらった資料でも一番汚染水の処理に関するページが多かった。コロナ禍とあって係員の人が引率する形で説明を受けながら館内を見て回るのだが、最近は汚染水のことについての説明の比率が高まっているそうだ。

 もう一つ印象深いのが前日の原発作業員の数が電光掲示板に表されていたこと。およそ4600人。原発稼働時には8000〜9000人が作業していたそうだから、その経済的な波及効果は認めざるを得ない。それだけの数の人間が食事をして寝泊りをして、中には家族で暮らしていたのだから。

汚染水について東京電力の資料

 近くで昼食にラーメンを食べてそのまま富岡町役場方面へ歩いていくと今度は「とみおかアーカイブミュージアム」があった。ここでは富岡町が昭和30年代に財政が逼迫していたことから、原発誘致へ舵を切った当時の状況がパネルで紹介されていた。また被災したパトカーが展示されていた。避難を呼びかけていて2人の警察官が殉職したという。

とみおかアーカイブミュージアム

 広い荒地の中にアスファルトの道が続いている。
 30分ほど歩くと桜並木が見えてきた。有名な夜ノ森(よのもり)だ。大木の桜並木が連なっている。桜の季節には綺麗だろうな。HPを見ていると2022年の桜まつりはステージで「テツandトモ」が出演したそうだ。頑張ってるな〜

夜ノ森 桜並木

 この辺りは特定復興再生拠点区域とされています。これまでの帰還困難区域に居住可能なエリアを認めようというもので、富岡町では2022年に初めて全ての桜並木を見ることができたそうです。

桜並木沿いの朽ちた商店

帰還困難区域を示す看板

 そこから中間貯蔵工事情報センターを目指します。坂道を降りて行って国道6号線をずんずん歩いて行きます。途中で歩道がなくなる場所があって少し怖かった。ここまで歩いてきて生活者は一切見かけません。どれだけ探してもいない。工事関係者のみです。

国道6号線から西側の荒地を望む

 50分ほど歩いて、やがて国道6号線沿いに中間貯蔵工事情報センターがありました。除染で出た土壌や瓦礫など汚染物質は大熊町と双葉町に「中間貯蔵」として保管することになりました。用地の確保にあたっては、地権者から買い上げたほうが多かったそうです。いくら思い入れがあっても手放すしかないよなあと思う。

中間貯蔵工事情報センター

 環境省らしく非常にこじんまりした施設ですが、除去土壌の処理は現在進行中の大きな課題の一つです。30年と決めた2045年には最終処分方法、用地を決めなければなりません。説明によると75%を占める8000ベクレル以下の低濃度の汚染物は遮蔽物を施せば農地や道路などの土台として再利用できるのではないかと研究しているそうです。

中間貯蔵工事情報センター内観

 そこから大野駅まで35分ほど歩きました。大野駅も新しくなっていましたが、駅西側の看板は昔のままに残っていました。

JR大野駅前 

 大野駅から一駅北へ移動した双葉駅へ行って、シャトルバスに乗って地域交流センターへ。隣接するビジネスホテルARM双葉に泊まりました。1泊2食付きで全国旅行支援クーポンで4割引となり、さらに「福島県来て割」の観光特典クーポン1000円分をくれました。
 食堂では観光客らしき人は見かけず、工事関係者と思われる人が数人という感じでした。周りには何にもなくて自動販売機でビールとハイボールを飲んで眠りにつきました。

 この日に行った施設では特に現在進行中の事象について知ることができた「廃炉資料館」と「中間貯蔵工事情報センター」が非常にためになりました。翌日は双葉町と浪江町、宮城県名取市の閖上を回ります。

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