太宰治の「津軽」を訪ねてみたいと思いました。正直に言いますが、太宰治は「走れメロス」しか読んだことがなく(それも教科書で)、なんとなく旅のテーマが欲しくて「津軽」を手に取ったところ、夢中になって読んでしまったのです。軽妙で自分に正直な語り口が、自分が思い描いていた太宰のイメージと全然違って、読んでいて「ぷっ」と吹き出すほどでした。家族や友人、恩人を訪ね歩くことが太宰にとっての「津軽」そして「自分を」知る旅だったのです。



 新青森から奥羽本線で川部まで。山頂は隠れていますが岩木山が雄大なすそ野を描いています。五能線に乗り換えて五所川原で津軽鉄道に乗り換えます。





 「大人の休日倶楽部パス」期間中とあって、切符を買うにも行列です。皆さんの目的は「ストーブ列車」。レトロな客車には1両につき2台のストーブがあって、車掌さんがするめ(¥800)を焼いてくれるのです。





 ビールやお酒もじゃんじゃん売れています。まだ午前中とあって私は遠慮していましたら、かわいそうに見えたのかボックスで同席していた女性が焼いたするめをくれました。やさしいなあ。
 金木(かなぎ)駅で下車すると雪が降ってきました。



 駅前から閑散としたまっすぐに伸びる道路を歩いていくと、5分ほどで太宰が津軽に疎開した際に使用していた「新座敷」がありました。室内にはあちらこちらに太宰の文章が置かれていて、目の前にある空間と文をいったりきたりしていると、どんどん太宰本人への興味が増してきます。





 太宰は除籍されるなど実家との関係は良くなかったようです。それでも疎開を受け入れてもらい、この新座敷では執筆に専念できた良い時代だったようです。書斎で片膝をたてながら執筆している様子を想像してしまいます。



 お昼は近くのすし屋「奴寿し」で。2,500円の寿し定食は豪華でした。お値打ちあるんじゃないかな。ここでも自制するつもりでしたが、お料理を見てすぐにタガが緩み、ビールに日本酒まで飲んでしまった。



 続いて太宰の実家「津島家」の大邸宅跡である「斜陽館」へ。太宰の生家はこの地方随一のお金持ちで、成績優秀だった太宰は将来を嘱望されながらも、どんどん逆の方向に人生を歩んでいきます。惚れっぽいのか、惚れられやすいのかいつも女性と関係が深まり、詰まるところ自殺行為へと走ってしまいます。
 津軽への旅行を決めてから「人間失格」も読んだのですが、主人公と太宰本人とかぶらずにはいられません。とても正直な人だったのではないかなと思いました。多かれ少なかれ大人になると自然と身についてしまう「処世」みたいなことができずにいたのではないでしょうか。そうならば世の中は矛盾だらけで耐えられないものとなったでしょう。





 芦野公園まで歩いて16時14分の津軽鉄道に乗って終点の津軽中里に着きました。この日の宿は駅から5分ほど歩いたところにある「福助旅館」さんです。



 共同トイレ、共同風呂は新しくてきれいで、食事はおなか一杯、お酒は持ち込み制です。一泊2食で税込み8,140円でした。おかみさんがとても陽気な方で楽しかったです。



 翌日は津軽中里駅を8時に出る弘南バスに乗って津軽半島日本海側最北の集落小泊(こどまり)を目指します。しじみで有名な十三湖には風力発電機が林立しています。バスはやがて小泊の集落に入り、「小学校前」で下車。片道1,200円支払おうとしたら、SUICA一日フリーパス1,000円で往復できると運転士さんが教えてくれました。ラッキーです。バス停からすぐで「小説「津軽」の像 記念館」です。



 「津軽」で太宰は幼少期に子守をしてくれた「たけ」に会いに小泊を訪れます。ここでの出会いを小説のクライマックスとする方も多いシーンです。とかく他者にも自分にもとがっている印象がありますが、ここでの太宰は母親のそばを離れない子供のように安心しているのです。美しいです。
 小説では出会ったところで終わっていますが、太宰はたけ宅に一晩泊まったそうです。話をしたかどうかはともかく太宰にとって特別な人であったことに変わりありません。

 記念館には生前のたけや、金物屋で偶然太宰と出会った娘のインタビューも聞くことができ興味深いです。別のところで「取材に訪れる方も多く、たけさんも少々お疲れ気味だった」と聞きました。それにしても太宰との出会いでこの人の人生は大きく変わったでしょうね。



 たけ宅など小泊漁港まで街を散策して派立というバス停から津軽中里まで戻りました。待ち構えてくれたのが「愛乗(あいのり)タクシー」です。



 路線バス減少の策として導入された事前予約性の交通手段で今回奥津軽いまべつ駅まで送ってもらうことにしたのです。通常なら12,000円くらいのところを2,400円で運んでくれたので超ありがたいです。

 そして奥津軽いまべつ駅からはJRが社会実験している「わんタク」で龍飛崎を目指します。「わんタク」はこれも事前予約制で一回の乗車がなんと500円(大人の休日倶楽部パス所持者は300円!)です。今回の旅で一番驚きました。
 JR津軽線は蟹田(かにた)〜三厩(みんまや)間が大雨による土砂崩れで不通となり、復旧方法についてJRと自治体の間で話し合いが続いていますが、採算のことを考えると復旧は難しそうです。「わんタク」は将来に向けたデータ集めの側面があるのかなと思います。



 この日の龍飛崎は風もおだやかで北海道まで見渡すことができました。左から右に松前や函館方面、下北半島。
 真っ白い山はなんだろう?
 こんな近くに北海道が見えることに単純に感動しました。同時に隔てる津軽海峡の大きさも。

 運転手さん曰く「こんな日はないですよ。来てもガスでなんにも見えないことも多いから大抵の人は10分もせずに帰ってくる(笑)」と言ってくれました。ラッキーだったなあ。



 龍飛崎には爆音で歌が流れる「津軽海峡冬景色歌碑」もあって、石川さゆりの歌声が絶えず風の中で流れていました。有名な「階段国道」は冬季通行禁止でした。太宰は龍飛崎への旅でこう書きました。

この部落を過ぎて路は無い。あとは海にころげ落ちるばかりだ。路が全く絶えているのである。ここは、本州の袋小路だ。読者も銘肌せよ。諸君が北に向って歩いているとき、その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、必ずこの外ヶ浜街道に到り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかのぼれば、すぽりとこの鶏小舎に似た不思議な世界に落ち込み、そこにおいて諸君の路は全く尽きるのである。


 またもや事前予約していた「わんタク」に乗り(運転手さんは同じだった)JR蟹田駅へ送ってもらいました。太宰が訪れた際、名物の蟹をたくさん食べたとありますが、今はあんまりとれないそうです。「東日本大震災の時以来、なぜか獲れなくなった」とのこと。こんなところまで海の底を変えてしまったのでしょうか?本当かどうかはわかりません。
 16時25分の津軽線に乗って帰路に着きました。



 ついこないだまで「走れメロス」しか知らなかったのに、にわか太宰ファンになった私。旅の終わりではもう太宰のことならなんでも知りたい気分でした。勝手な盛り上がりぶりに我ながらあきれてしまいます。



 「津軽」は今年で刊行からちょうど80年にあたるそうです。地元でイベントをする機運もあるそうです。偶然でしたがそんな年の初めに訪れることができました。「津軽」との出会いも何かの縁ですね。「故郷」「斜陽」くらいまでは読みたいなと思います。行ってよかったです。


津軽 (新潮文庫)

  • 作者: 治, 太宰
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2024/01/29
  • メディア: 文庫