月山〜今日ほどテレマークターンができた日はない〜 [テレマークがうまくなりたい!]
月山周辺ではこれまで志津の近くや湯殿山、村山葉山の927峰でスキーをしたことがありますが、月山のピークそのものには登ったことがありません。2週間前の八甲田が本来ならスキー納めとなるところですが、余勢をかって月山にも行くことにしました。
夜行バスを調べたのですが「スキー板やボードは取り扱いません」との但し書きがあって、そうなると新幹線しかないとなりまして、JRのダイナミック・レールパックで新幹線代と宿泊代込みで20,400円のコースがありましたのでポチっとしてしまいました。
翌日は山交バスセンター7時20分発のバスに乗って西川BSで町営バスに乗り換え、姥沢(うばさわ)に着いたのは9時35分ごろ。急いで準備をしてリフト乗り場に15分ほど雪道を歩きます。
リフト1回券800円を買って外へ出てみますとガーン。すごい行列です。
駐車場では世田谷ナンバーの車も見かけたたので、日本全国からここ月山に集結していると言っても良いかもしれません。まあ私もそのうちの一人ですけどね。
列は100メートルくらいあったと思うのですが、これが割と流れが良くて15分ほど待つと無事リフトに乗ることができました。ペアリフト1本だけでこれだけの集客力ですから非常に効率的と言えるでしょう。
リフトに乗りますと、左手に姥ヶ岳とスキー場の「大斜面」が見えてきます。もう多くのスキーヤーが名物のコブに挑戦しています。初見参の私にとっては「うわー」と感動の声をあげたいところですが、おっさんがわーきゃー言うとさすがにお隣の相席の方も怖がられると思いますので、心の中だけにとどめておきました。
さてリフト終点ですぐにスキーで歩き出します。スキー場管理外の竹竿を超えて白い尾根を超えますと、あらわれました、月山です。↓クリックすると大きくなります
来たー!月山だ。優しいな。月の山だもんな。
↓ここから引用
↑ここまで引用
文献を重視する深田久弥氏にしては、「感じがあったに違いない」とえらくぼんやりとした結論付けているのがおかしく思えます。まあ、それほどこの山容は人の心を魅了することなのでしょう。
姥ヶ岳を経由して行くこともあるようですが、スキー板を履いているのならば、ここは月山を絶えず正面に見ながら大きな雪上をペタペタと行きましょう。
振り返ると白い山々が峰を連ねています。朝日連峰です。
手前は以東岳、左手の顕著なピークが大朝日岳だろうか?月山と朝日連峰がこんなに近いなんてつい最近まで知りませんでした。
いつか朝日連峰にはいかなくては。その時は縦走がふさわしいと今から決めています。
さて尾根からちょっとした雪壁に突き当たります。さっさとスキー板をリュックに付けてシートラです。以前は「いけるところまでシール登高で」と頑張っていたのですが、ここのところあまりスタイルにこだわらないようになりました。結局その時そのときで一番体力の消耗しない登り方で登ればいいのです。
そのうち雪が消え土の道となりました。石の壁が見えましたので、人工物があるなと思っていたら(「頂上かも」と期待したことは否定しません笑)、そこは鍛治小屋跡で比較的新しそうなお地蔵様がいらっしゃいました。可愛らしいお顔でした。
スキーを担いでえっちらおっちら登っていますとついに頂上稜線です。左手に向きを変えると建物がたくさん建っているところが見えます。あれが頂上です。平坦な道を歩いて鳥居をくぐって行きますと、真剣に石囲いした宗教施設のようでしたので右手の雪面に移動し、鳥海山目当てにさらにその先まで足を伸ばします。
知らなかったのですが、その鳥海山が良く見えるあたりが三角点があるところだったようです。
鳥海山はぽっかり雲の上に浮かんでいるかのようです。猛禽類の翼を思わせるかのような裾野の広がり方が猛々しくてたまりません。
さて頂上はともかく先ほどから私の心をつかんでいるのは、眼下に広がる「月山東斜面」です。なんとも雄大でなだらかなオープンバーンが広がっています。↓クリックすると大きくなります
時間は12時15分ごろで、予定より早く着きました。ここは滑っておくべしでしょう。もう、たまらなくなってスキーモードにチェンジ!です。そして滑ってみると、1回、2回、3回、右に左にもう一回右に。
こんなにテレマークターンが決まったのは生まれて初めてです。
前兆はありました。八甲田で課題だった左へのターンが意識して重心を低くすることで自然と足が開くようになっていたのです。「わかったかもしれん」のか、いつもの勘違いなのか?
それが「前よりはわかった」との確信に変わりました!(←弱い確信)
ご機嫌で頂上稜線に登り返します。こういう時もウロコ板だといちいちシールを履かなくて済むので楽チンです。土道となり、しばらく板を担いで雪のあるところまで戻って来ました。ここでは他の人の視線を感じて緊張してしまい1回こけましたが、その後はぐーんと距離を伸ばします。ターンも何回も決めて…ヒャッホー!最高だ。
あまり滑りすぎると登り返すのがしんどいので、できるだけ高度を下げないようトラバース気味で滑ります。最後はウロコ板パワーでブッシュが見える小尾根を越えるとスキー場のリフト上駅を見下ろすことができました。スキー場はもうすごい人です。
姥ヶ岳へ登る時間もあるのですが「このまま美しい思い出だけを持って帰りたい」と余計なことをせずに帰ることにします。大体欲張ると失敗するものです。
沢コースを素直に滑りましたが、さすがにだいぶ荒れています。コーチの指導を受けている子供達がめちゃ上手です。
全国大会のシャツを着ている若い男女のチームもいます。多分すごいやつらなんだと思います。自分の居場所ではなかろうと、私は降りることに集中です。
14時過ぎに姥沢に着いたのに、バスが1415だと知らずに数分の差で乗り過ごし(とほほ)1時間45分たっぷり待ちました。この間ブユの攻撃を受けて何箇所か噛まれてしまった。
16時出発の町営バスの後は西川ICで山形駅行きの高速バス待ちです。乗り継ぎの便は仙台行きの方が便利ですが、ツアーなので山形発の新幹線に乗らないわけには行きません。これから検討される方は仙台起点で考えると良いかもしれません。
およそ1時間待ってやっと高速バスに乗ることができました。1時間くらいの時間待ちはだいぶ慣れてしまいましたけどね。
タイトルにも書きましたが、恥ずかしながら「今日ほどテレマークターンができた日はない」です。ですから月山のこの滑りは私にとって「テレマークターン記念日」と言っても良いかと思います。まあいつも「わかったかもしれない」と思い続けているのですけどね(笑)
■月山 2024/5/11
月山リフト上駅(10:30/12:15)月山山頂(12:40/13:30)リフト上駅(13:45/14:05)姥沢
夜行バスを調べたのですが「スキー板やボードは取り扱いません」との但し書きがあって、そうなると新幹線しかないとなりまして、JRのダイナミック・レールパックで新幹線代と宿泊代込みで20,400円のコースがありましたのでポチっとしてしまいました。
翌日は山交バスセンター7時20分発のバスに乗って西川BSで町営バスに乗り換え、姥沢(うばさわ)に着いたのは9時35分ごろ。急いで準備をしてリフト乗り場に15分ほど雪道を歩きます。
リフト1回券800円を買って外へ出てみますとガーン。すごい行列です。
駐車場では世田谷ナンバーの車も見かけたたので、日本全国からここ月山に集結していると言っても良いかもしれません。まあ私もそのうちの一人ですけどね。
列は100メートルくらいあったと思うのですが、これが割と流れが良くて15分ほど待つと無事リフトに乗ることができました。ペアリフト1本だけでこれだけの集客力ですから非常に効率的と言えるでしょう。
リフトに乗りますと、左手に姥ヶ岳とスキー場の「大斜面」が見えてきます。もう多くのスキーヤーが名物のコブに挑戦しています。初見参の私にとっては「うわー」と感動の声をあげたいところですが、おっさんがわーきゃー言うとさすがにお隣の相席の方も怖がられると思いますので、心の中だけにとどめておきました。
さてリフト終点ですぐにスキーで歩き出します。スキー場管理外の竹竿を超えて白い尾根を超えますと、あらわれました、月山です。↓クリックすると大きくなります
来たー!月山だ。優しいな。月の山だもんな。
↓ここから引用
月山の名の起こりは、半輪の月の形からではなく、その山を仰ぐ人々が彼等の最も尊崇している農業の神、月読尊(つきよみのみこと)を祀ったからである。しかし、その心の底には、やはり月のように優しい山という感じがあったに違いない。(日本百名山)
↑ここまで引用
文献を重視する深田久弥氏にしては、「感じがあったに違いない」とえらくぼんやりとした結論付けているのがおかしく思えます。まあ、それほどこの山容は人の心を魅了することなのでしょう。
姥ヶ岳を経由して行くこともあるようですが、スキー板を履いているのならば、ここは月山を絶えず正面に見ながら大きな雪上をペタペタと行きましょう。
振り返ると白い山々が峰を連ねています。朝日連峰です。
手前は以東岳、左手の顕著なピークが大朝日岳だろうか?月山と朝日連峰がこんなに近いなんてつい最近まで知りませんでした。
いつか朝日連峰にはいかなくては。その時は縦走がふさわしいと今から決めています。
さて尾根からちょっとした雪壁に突き当たります。さっさとスキー板をリュックに付けてシートラです。以前は「いけるところまでシール登高で」と頑張っていたのですが、ここのところあまりスタイルにこだわらないようになりました。結局その時そのときで一番体力の消耗しない登り方で登ればいいのです。
そのうち雪が消え土の道となりました。石の壁が見えましたので、人工物があるなと思っていたら(「頂上かも」と期待したことは否定しません笑)、そこは鍛治小屋跡で比較的新しそうなお地蔵様がいらっしゃいました。可愛らしいお顔でした。
スキーを担いでえっちらおっちら登っていますとついに頂上稜線です。左手に向きを変えると建物がたくさん建っているところが見えます。あれが頂上です。平坦な道を歩いて鳥居をくぐって行きますと、真剣に石囲いした宗教施設のようでしたので右手の雪面に移動し、鳥海山目当てにさらにその先まで足を伸ばします。
知らなかったのですが、その鳥海山が良く見えるあたりが三角点があるところだったようです。
鳥海山はぽっかり雲の上に浮かんでいるかのようです。猛禽類の翼を思わせるかのような裾野の広がり方が猛々しくてたまりません。
さて頂上はともかく先ほどから私の心をつかんでいるのは、眼下に広がる「月山東斜面」です。なんとも雄大でなだらかなオープンバーンが広がっています。↓クリックすると大きくなります
時間は12時15分ごろで、予定より早く着きました。ここは滑っておくべしでしょう。もう、たまらなくなってスキーモードにチェンジ!です。そして滑ってみると、1回、2回、3回、右に左にもう一回右に。
こんなにテレマークターンが決まったのは生まれて初めてです。
前兆はありました。八甲田で課題だった左へのターンが意識して重心を低くすることで自然と足が開くようになっていたのです。「わかったかもしれん」のか、いつもの勘違いなのか?
それが「前よりはわかった」との確信に変わりました!(←弱い確信)
ご機嫌で頂上稜線に登り返します。こういう時もウロコ板だといちいちシールを履かなくて済むので楽チンです。土道となり、しばらく板を担いで雪のあるところまで戻って来ました。ここでは他の人の視線を感じて緊張してしまい1回こけましたが、その後はぐーんと距離を伸ばします。ターンも何回も決めて…ヒャッホー!最高だ。
あまり滑りすぎると登り返すのがしんどいので、できるだけ高度を下げないようトラバース気味で滑ります。最後はウロコ板パワーでブッシュが見える小尾根を越えるとスキー場のリフト上駅を見下ろすことができました。スキー場はもうすごい人です。
姥ヶ岳へ登る時間もあるのですが「このまま美しい思い出だけを持って帰りたい」と余計なことをせずに帰ることにします。大体欲張ると失敗するものです。
沢コースを素直に滑りましたが、さすがにだいぶ荒れています。コーチの指導を受けている子供達がめちゃ上手です。
全国大会のシャツを着ている若い男女のチームもいます。多分すごいやつらなんだと思います。自分の居場所ではなかろうと、私は降りることに集中です。
14時過ぎに姥沢に着いたのに、バスが1415だと知らずに数分の差で乗り過ごし(とほほ)1時間45分たっぷり待ちました。この間ブユの攻撃を受けて何箇所か噛まれてしまった。
16時出発の町営バスの後は西川ICで山形駅行きの高速バス待ちです。乗り継ぎの便は仙台行きの方が便利ですが、ツアーなので山形発の新幹線に乗らないわけには行きません。これから検討される方は仙台起点で考えると良いかもしれません。
およそ1時間待ってやっと高速バスに乗ることができました。1時間くらいの時間待ちはだいぶ慣れてしまいましたけどね。
タイトルにも書きましたが、恥ずかしながら「今日ほどテレマークターンができた日はない」です。ですから月山のこの滑りは私にとって「テレマークターン記念日」と言っても良いかと思います。まあいつも「わかったかもしれない」と思い続けているのですけどね(笑)
■月山 2024/5/11
月山リフト上駅(10:30/12:15)月山山頂(12:40/13:30)リフト上駅(13:45/14:05)姥沢
柏瀬祐之「日本登山大系」ができる時のはなし [山の本、TVなどメディア関係]
山と渓谷に「来し方 行く末」という連載があって、かつての名クライマーの当時の振り返りと近況を読む(楽天マガジンで)のが楽しみです。和田城志さん(2023年12月号)や近藤邦彦さん(2024年2月号)も興味深かったです。
2024年4月号は柏瀬祐之(ゆうじ)さんのインタビューが載っていました。インタビュアーは森山憲一さん。柏瀬さんというと著書「山を遊びつくせ」がとてもおもしろく夢中になって読んだ覚えがあります。またなんと言ってもマニア登山家のバイブル、白水社「日本登山大系」の編著者として印象的です。
今回のインタビューでは、当時の登山の行き詰まり感から発想、実行された谷川岳の一の倉沢全壁トラバースした時に加え、日本登山大系の編集作業の様子が語られています。
↓ここから引用
↑ここまで引用
柏瀬さんはまた、情報を更新したいが問い合わせる山岳会、人もいないことから改訂は無理だろうと話されています。日本登山大系は「山岳会に組織力があった最後の時代だったのかもしれないです」とも話されています。
戸田直樹さんとともに「岩と雪」で名前を目にしていた平田紀之(のりゆき)さんの本業が白水社の編集者とも知りませんでした。白水社自体、海外文学が会社の主戦場だと思う(「ライ麦畑でつかまえて」とか)のですが、なぜ山岳本を出すのか不思議でした。こういう方がいたからなのですね。
柏瀬さんは81歳(!)。今も外岩に通ってオンサイトで5.11を登るそうです。言い訳できないですね。やる人はやっているんだ、今でも、ずっと…
↓この本が気になっています
2024年4月号は柏瀬祐之(ゆうじ)さんのインタビューが載っていました。インタビュアーは森山憲一さん。柏瀬さんというと著書「山を遊びつくせ」がとてもおもしろく夢中になって読んだ覚えがあります。またなんと言ってもマニア登山家のバイブル、白水社「日本登山大系」の編著者として印象的です。
今回のインタビューでは、当時の登山の行き詰まり感から発想、実行された谷川岳の一の倉沢全壁トラバースした時に加え、日本登山大系の編集作業の様子が語られています。
↓ここから引用
この本の首謀者は白水社の平田紀之さんです。僕ら編者はその下で動いていただけです。
平田さんとは面識はなかったんですけど電話がありましてね。やってもらえないかと。その時にもうふたりの編者(岩崎元郎、小泉弘)の名前も挙がったんでしょうね。私が筆頭なのは単に少し年長だからにすぎません。岩崎さんは当時から顔が広くて、いろんな地域のいろんな人を知っているんですよ。『岩崎です』と電話すると、たいていの人が執筆を引き受けてくれる。大したものですよ
全国のいろんなところの僕が知らない岩や沢の情報がどんどん集まってくるんですよ。大変だったという意識はほとんどなくて、最初から最後まで編集作業はとにかく楽しかったなあ。
↑ここまで引用
柏瀬さんはまた、情報を更新したいが問い合わせる山岳会、人もいないことから改訂は無理だろうと話されています。日本登山大系は「山岳会に組織力があった最後の時代だったのかもしれないです」とも話されています。
戸田直樹さんとともに「岩と雪」で名前を目にしていた平田紀之(のりゆき)さんの本業が白水社の編集者とも知りませんでした。白水社自体、海外文学が会社の主戦場だと思う(「ライ麦畑でつかまえて」とか)のですが、なぜ山岳本を出すのか不思議でした。こういう方がいたからなのですね。
柏瀬さんは81歳(!)。今も外岩に通ってオンサイトで5.11を登るそうです。言い訳できないですね。やる人はやっているんだ、今でも、ずっと…
↓この本が気になっています
八甲田BC 睡蓮沼から大岳・硫黄岳 [テレマークがうまくなりたい!]
スキーの季節も残りわずか。友人と「雪が多いところを」と探すと自然と行き先は北東北になる。月山か鳥海山か八甲田か…文明の利器を使って「ちょっと楽しながら」3日間の日程をこなせるところということで、人生初の八甲田へ行くことにしました。
ロープウェーを利用したツアーコースを2日間滑った後、八甲田の最高峰でもある大岳(1,585m)への登山に1日をあてることにしました。
大岳へ登って酸ヶ湯温泉にも入りたい。ルートとしては①八甲田ロープウェーから行くルートと②酸ヶ湯温泉から登るルートが、多くの人に登られています。しかしロープウェイを利用すると始発は9時でやや出発が遅くなる、酸ヶ湯温泉から登るのはこの時期だとスキーには雪が少ないのではと心配です。というわけで素直に③睡蓮沼からピストンとなりました。多少距離は伸びますが出発時間を8時にして時間に余裕をもたせた次第です。
コンビニで朝食と昼飯を買って睡蓮沼へ。路側帯に車を止めてさっそく大岳へ。8時で車はもう一杯だ。櫛ヶ峰へ行く人は多いが、大岳へ行く人はあまりいない。
竹竿に沿って忠実に上がっていきます。左手には硫黄岳が白い斜面をみせています。復路で疲れていなければ寄ることにしましょう。実際この斜面だけを登りにきている人が複数いました。
正面から右手には、大岳、小岳、高田大岳が連なっています。これぞ八甲田という景観ですね。八甲田は東斜面に滑走に良い斜面が広がっていることが多いようです。あとで登る硫黄岳からのパノラマ写真↓クリックで大きくなります
仙人岱(せんにんたい)ヒュッテから大岳への登りにかかると、南八甲田の山々が見えてきました。南八甲田の最高峰、櫛ヶ峰も見えます。今回は北八甲田エリアを滑っていますが、南八甲田はどちらかというと滑るより、ゆるやかな起伏を登るイメージです。いつかウロコ板でのんびりスキー散歩といきたいところです。
大岳への登りはできるだけシールで行こうと試みますが、案外早く低木の樹林帯の急登となり「あかん」となって、シートラ。シートラーゲンはドイツ語で「スキーを担ぐ」の意味。登山用語でドイツ語が残っているのは珍しい気がします。
まもなく土が表れて幅の広い階段を上がると頂上だった。陸奥湾を見下ろすことができます。
日本百名山にしては頂上は思ったより人がいません。スキーツアー客も見かけません。あとで確認するとロープウェーは午前中からシステム異常で運行を停止していたそうです。
かなたに岩木山がうっすらと見ることができました。今日は霞んでくっきりとは見えません。黄砂も影響しているのかもしれません。
さあ、滑走に移りましょう。登山道から雪面に降りられるところを探し、数メートル草地を降りたところにある雪面へ。多分ここが前日会ったツアー参加者が「大岳最高っす!」と言っていたところだろう。
最初、急だと思いましたがザラメだと不思議にあまり怖くない。途中から斜滑降で仙人岱ヒュッテへ向かう。南八甲田に向かって広大な斜面を滑っているとたまらなく気分が上がってきます。↓斜滑降の後が見えます。
硫黄岳とのコルで休憩とラーメンとコーヒー。硫黄岳へは僕はうろこ板で登り切りました。すっかり前提となっていますが「テレマークのウロコ板」です。この組み合わせは滑りと登りのシームレスなところがたまらんです。
頂上近くにいた人に「睡蓮沼に行くならその先の斜面から下りればよい」とアドバイスを受けてそこへ行く。こちらの人はみんな話好きでいろいろとアドバイスをくれる。
この斜面はよかった。僕はきょうあたりから後ろ足のずれがよいタイミングとなっているのです。ストックワークで体重の移動が良くなっているようです。
元来た道に戻ってスキーハイクで睡蓮沼へ戻ります。櫛ヶ峰から帰って来ている人もちらほらいます。後片付けをして酸ヶ湯温泉へ。ここでも谷間を下山してくる登山者やスキーヤーがいました。その場面しか見ていませんが、ブッシュが出ていて「睡蓮沼からの往復でよかった」と思いました。
名物の「ヒバ千人風呂」は確かに大きくて「ホ〜」と思った。混浴で女性は袋状の布を体を覆っているが、男性はすっぽんぽんだ。混浴とはなんとおおらかな文化なんだろう。
ちゃんと洗いたくなって別風呂の男湯へ行き、その後荷物を整理して友人と別れる。15時17分のJRバスに乗って新青森へ。
初めての八甲田ですが、スキーを存分に楽しむことができました。日本百名山をスキーで登れたのは意義が大きい。いい登山スタイルだと思う。
八甲田はロープウェーがあって「いつでも登れる」と思っていたところがあって、またどちらかというとスレた印象がある山でしたが、一歩足を踏み入れれば、立派な山岳エリアです。雪の状態は日々変わって行くので、一つ一つの判断も臨機応変に対応しなければなりません。そういう意味でも楽しめる山域と言えるでしょう。
山岳景観が素晴らしいのはいうまでもありません。
■八甲田大岳 2024/4/29
睡蓮沼(8:00/10:30)大岳(11:00/13:20)睡蓮沼
ロープウェーを利用したツアーコースを2日間滑った後、八甲田の最高峰でもある大岳(1,585m)への登山に1日をあてることにしました。
大岳へ登って酸ヶ湯温泉にも入りたい。ルートとしては①八甲田ロープウェーから行くルートと②酸ヶ湯温泉から登るルートが、多くの人に登られています。しかしロープウェイを利用すると始発は9時でやや出発が遅くなる、酸ヶ湯温泉から登るのはこの時期だとスキーには雪が少ないのではと心配です。というわけで素直に③睡蓮沼からピストンとなりました。多少距離は伸びますが出発時間を8時にして時間に余裕をもたせた次第です。
コンビニで朝食と昼飯を買って睡蓮沼へ。路側帯に車を止めてさっそく大岳へ。8時で車はもう一杯だ。櫛ヶ峰へ行く人は多いが、大岳へ行く人はあまりいない。
竹竿に沿って忠実に上がっていきます。左手には硫黄岳が白い斜面をみせています。復路で疲れていなければ寄ることにしましょう。実際この斜面だけを登りにきている人が複数いました。
正面から右手には、大岳、小岳、高田大岳が連なっています。これぞ八甲田という景観ですね。八甲田は東斜面に滑走に良い斜面が広がっていることが多いようです。あとで登る硫黄岳からのパノラマ写真↓クリックで大きくなります
仙人岱(せんにんたい)ヒュッテから大岳への登りにかかると、南八甲田の山々が見えてきました。南八甲田の最高峰、櫛ヶ峰も見えます。今回は北八甲田エリアを滑っていますが、南八甲田はどちらかというと滑るより、ゆるやかな起伏を登るイメージです。いつかウロコ板でのんびりスキー散歩といきたいところです。
大岳への登りはできるだけシールで行こうと試みますが、案外早く低木の樹林帯の急登となり「あかん」となって、シートラ。シートラーゲンはドイツ語で「スキーを担ぐ」の意味。登山用語でドイツ語が残っているのは珍しい気がします。
まもなく土が表れて幅の広い階段を上がると頂上だった。陸奥湾を見下ろすことができます。
日本百名山にしては頂上は思ったより人がいません。スキーツアー客も見かけません。あとで確認するとロープウェーは午前中からシステム異常で運行を停止していたそうです。
かなたに岩木山がうっすらと見ることができました。今日は霞んでくっきりとは見えません。黄砂も影響しているのかもしれません。
さあ、滑走に移りましょう。登山道から雪面に降りられるところを探し、数メートル草地を降りたところにある雪面へ。多分ここが前日会ったツアー参加者が「大岳最高っす!」と言っていたところだろう。
最初、急だと思いましたがザラメだと不思議にあまり怖くない。途中から斜滑降で仙人岱ヒュッテへ向かう。南八甲田に向かって広大な斜面を滑っているとたまらなく気分が上がってきます。↓斜滑降の後が見えます。
硫黄岳とのコルで休憩とラーメンとコーヒー。硫黄岳へは僕はうろこ板で登り切りました。すっかり前提となっていますが「テレマークのウロコ板」です。この組み合わせは滑りと登りのシームレスなところがたまらんです。
頂上近くにいた人に「睡蓮沼に行くならその先の斜面から下りればよい」とアドバイスを受けてそこへ行く。こちらの人はみんな話好きでいろいろとアドバイスをくれる。
この斜面はよかった。僕はきょうあたりから後ろ足のずれがよいタイミングとなっているのです。ストックワークで体重の移動が良くなっているようです。
元来た道に戻ってスキーハイクで睡蓮沼へ戻ります。櫛ヶ峰から帰って来ている人もちらほらいます。後片付けをして酸ヶ湯温泉へ。ここでも谷間を下山してくる登山者やスキーヤーがいました。その場面しか見ていませんが、ブッシュが出ていて「睡蓮沼からの往復でよかった」と思いました。
名物の「ヒバ千人風呂」は確かに大きくて「ホ〜」と思った。混浴で女性は袋状の布を体を覆っているが、男性はすっぽんぽんだ。混浴とはなんとおおらかな文化なんだろう。
ちゃんと洗いたくなって別風呂の男湯へ行き、その後荷物を整理して友人と別れる。15時17分のJRバスに乗って新青森へ。
初めての八甲田ですが、スキーを存分に楽しむことができました。日本百名山をスキーで登れたのは意義が大きい。いい登山スタイルだと思う。
八甲田はロープウェーがあって「いつでも登れる」と思っていたところがあって、またどちらかというとスレた印象がある山でしたが、一歩足を踏み入れれば、立派な山岳エリアです。雪の状態は日々変わって行くので、一つ一つの判断も臨機応変に対応しなければなりません。そういう意味でも楽しめる山域と言えるでしょう。
山岳景観が素晴らしいのはいうまでもありません。
■八甲田大岳 2024/4/29
睡蓮沼(8:00/10:30)大岳(11:00/13:20)睡蓮沼