柏瀬祐之「日本登山大系」ができる時のはなし [山の本、TVなどメディア関係]
山と渓谷に「来し方 行く末」という連載があって、かつての名クライマーの当時の振り返りと近況を読む(楽天マガジンで)のが楽しみです。和田城志さん(2023年12月号)や近藤邦彦さん(2024年2月号)も興味深かったです。
2024年4月号は柏瀬祐之(ゆうじ)さんのインタビューが載っていました。インタビュアーは森山憲一さん。柏瀬さんというと著書「山を遊びつくせ」がとてもおもしろく夢中になって読んだ覚えがあります。またなんと言ってもマニア登山家のバイブル、白水社「日本登山大系」の編著者として印象的です。
今回のインタビューでは、当時の登山の行き詰まり感から発想、実行された谷川岳の一の倉沢全壁トラバースした時に加え、日本登山大系の編集作業の様子が語られています。
↓ここから引用
↑ここまで引用
柏瀬さんはまた、情報を更新したいが問い合わせる山岳会、人もいないことから改訂は無理だろうと話されています。日本登山大系は「山岳会に組織力があった最後の時代だったのかもしれないです」とも話されています。
戸田直樹さんとともに「岩と雪」で名前を目にしていた平田紀之(のりゆき)さんの本業が白水社の編集者とも知りませんでした。白水社自体、海外文学が会社の主戦場だと思う(「ライ麦畑でつかまえて」とか)のですが、なぜ山岳本を出すのか不思議でした。こういう方がいたからなのですね。
柏瀬さんは81歳(!)。今も外岩に通ってオンサイトで5.11を登るそうです。言い訳できないですね。やる人はやっているんだ、今でも、ずっと…
↓この本が気になっています
2024年4月号は柏瀬祐之(ゆうじ)さんのインタビューが載っていました。インタビュアーは森山憲一さん。柏瀬さんというと著書「山を遊びつくせ」がとてもおもしろく夢中になって読んだ覚えがあります。またなんと言ってもマニア登山家のバイブル、白水社「日本登山大系」の編著者として印象的です。
今回のインタビューでは、当時の登山の行き詰まり感から発想、実行された谷川岳の一の倉沢全壁トラバースした時に加え、日本登山大系の編集作業の様子が語られています。
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この本の首謀者は白水社の平田紀之さんです。僕ら編者はその下で動いていただけです。
平田さんとは面識はなかったんですけど電話がありましてね。やってもらえないかと。その時にもうふたりの編者(岩崎元郎、小泉弘)の名前も挙がったんでしょうね。私が筆頭なのは単に少し年長だからにすぎません。岩崎さんは当時から顔が広くて、いろんな地域のいろんな人を知っているんですよ。『岩崎です』と電話すると、たいていの人が執筆を引き受けてくれる。大したものですよ
全国のいろんなところの僕が知らない岩や沢の情報がどんどん集まってくるんですよ。大変だったという意識はほとんどなくて、最初から最後まで編集作業はとにかく楽しかったなあ。
↑ここまで引用
柏瀬さんはまた、情報を更新したいが問い合わせる山岳会、人もいないことから改訂は無理だろうと話されています。日本登山大系は「山岳会に組織力があった最後の時代だったのかもしれないです」とも話されています。
戸田直樹さんとともに「岩と雪」で名前を目にしていた平田紀之(のりゆき)さんの本業が白水社の編集者とも知りませんでした。白水社自体、海外文学が会社の主戦場だと思う(「ライ麦畑でつかまえて」とか)のですが、なぜ山岳本を出すのか不思議でした。こういう方がいたからなのですね。
柏瀬さんは81歳(!)。今も外岩に通ってオンサイトで5.11を登るそうです。言い訳できないですね。やる人はやっているんだ、今でも、ずっと…
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