奈良・龍王山 久しぶりのハイキング [大阪発家族でアウトドア]
いろいろと家のことが立て込んでいて、なかなか山登りに行けません。たまに休みがあっても家でクタ〜としてしまいます。やっぱり年ですかね〜(^^;)
いいお天気ということで、奈良の龍王山へ行くことにしました。長岳寺へ向かうと、市営駐車場なるものがあったので、駐車しました。助かります。
崇神天皇陵の脇を通ります。多くのハイカーがいます。この辺りは「山の辺の道」でもあるのですね。「山の辺の道」との分岐をすぎると途端に人気がなくなります。最初は沢沿の道です。樹林が覆って光はあまり差し込んで来ません。
龍王山古墳群をすぎてしばらくすると、長岳寺奥の院の不動明王への分岐があり、「どんなものか」見に行きました。
森の中にすっくと立ち上がっている不動明王石仏です。家に帰ってからインターネットで調べると、「大和屈指の石仏」「不動石仏中の傑作」とされているそうです。確かに男前ですね。
やがて南城跡に着きました。眼前に奈良盆地が広がります。
金剛山、葛城山、二上山、生駒。奈良盆地には大和三山が島のように浮かんで見えます。
龍王山の山城は北城跡と南城跡に別れている。二箇所に別れながら互いに呼応し合って一つの城を形作ることを「別城一郭」というのだそうだ。
城主の「十市遠忠から息子の遠勝になって籠城もせずに城を譲ってしまった」というようなことが案内板に書かれていた。どうも息子の時代になって没落してしまったようだ。考えさせられる話だ…
北城跡にも行って見た。アスファルトの道が続いていて、もしかしたら天理の方から来れるのかもしれない。北城跡は規模としては南城跡より大きい。しかし道が荒れていて登り口も降り口もわかりにくかった。
下り道でも思ったのだが、枝がそこら中で落ちている、台風の影響ではないだろうか。そうと考えるとよく落ち枝を寄せて道を確保してくれたものだと思う。
長岳寺に寄ったら、地獄絵図が展示されていた。400年ほど前の安土桃山時代のものだそうだ。阿弥陀信仰を広めていた真言宗としては、阿弥陀の世界と対極である地獄の様子を庶民に説いていたのだろう、と寺の方が仰っていました。ちなみに紅葉は11月20日頃からだそうです。
駐車場は国道169号のファミリーマート裏の市営駐車場にとのこと。しかしハイカーはわかるけれど「クライマー」がこの辺りにいるのだろうか?私の知らない開拓中の岩場があるのではないかと想像してしまう(^ ^)
■スマホの記録はこちら
いいお天気ということで、奈良の龍王山へ行くことにしました。長岳寺へ向かうと、市営駐車場なるものがあったので、駐車しました。助かります。
崇神天皇陵の脇を通ります。多くのハイカーがいます。この辺りは「山の辺の道」でもあるのですね。「山の辺の道」との分岐をすぎると途端に人気がなくなります。最初は沢沿の道です。樹林が覆って光はあまり差し込んで来ません。
龍王山古墳群をすぎてしばらくすると、長岳寺奥の院の不動明王への分岐があり、「どんなものか」見に行きました。
森の中にすっくと立ち上がっている不動明王石仏です。家に帰ってからインターネットで調べると、「大和屈指の石仏」「不動石仏中の傑作」とされているそうです。確かに男前ですね。
やがて南城跡に着きました。眼前に奈良盆地が広がります。
金剛山、葛城山、二上山、生駒。奈良盆地には大和三山が島のように浮かんで見えます。
龍王山の山城は北城跡と南城跡に別れている。二箇所に別れながら互いに呼応し合って一つの城を形作ることを「別城一郭」というのだそうだ。
城主の「十市遠忠から息子の遠勝になって籠城もせずに城を譲ってしまった」というようなことが案内板に書かれていた。どうも息子の時代になって没落してしまったようだ。考えさせられる話だ…
北城跡にも行って見た。アスファルトの道が続いていて、もしかしたら天理の方から来れるのかもしれない。北城跡は規模としては南城跡より大きい。しかし道が荒れていて登り口も降り口もわかりにくかった。
下り道でも思ったのだが、枝がそこら中で落ちている、台風の影響ではないだろうか。そうと考えるとよく落ち枝を寄せて道を確保してくれたものだと思う。
長岳寺に寄ったら、地獄絵図が展示されていた。400年ほど前の安土桃山時代のものだそうだ。阿弥陀信仰を広めていた真言宗としては、阿弥陀の世界と対極である地獄の様子を庶民に説いていたのだろう、と寺の方が仰っていました。ちなみに紅葉は11月20日頃からだそうです。
駐車場は国道169号のファミリーマート裏の市営駐車場にとのこと。しかしハイカーはわかるけれど「クライマー」がこの辺りにいるのだろうか?私の知らない開拓中の岩場があるのではないかと想像してしまう(^ ^)
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タグ:龍王山 長岳寺 不動明王
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