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京大チョゴリザ初登頂の平井一正氏亡くなる 国内記録も尖っていた [大学山岳部のブログから]

平井一正氏 毎日新聞2016年3月15日

 京都大学隊で1958年のチョゴリザ(7654m)初登頂者であり、62年にサルトロカンリ(7742m)登山隊参加、神戸大学隊の隊長として76年のシェルピカンリ(7380m)、86年のクーラカンリ(7554m)の初登頂を成功させた平井一正氏が2月15日に敗血症で亡くなったとのこと。

 写真は2016年3月15日の毎日新聞の記事で、「老いに学ぶ」という連載記事のインタビューをたまたまスクラップしていたものです。初登頂のことや奥様のことを回想されています。次の言葉が印象的です。

 チョゴリザ登頂の瞬間瞬間を、60年近くが過ぎても克明に覚えてます。人生で苦しい目に遭った時、頂を目指して黙々とラッセルを続ける自分を思い出し、勇気を奮い起こしました。幸運だったと思います。


 さてヒマラヤでの活躍が注目されがちですが、国内でも先鋭的な登山をしていました。以前和田城志さんが岳人500号「積雪期黒部川横断研究」の中で、平井さんとパートナーの脇坂誠さんのことを「京大のヘッドクォーターともいうべき」と評しています。この黒部川横断の特集は値打ちがあると今でも思います。

1950年 京都大学入学、山岳部入部。
1952〜53年の冬の知床登山。羅臼岳登頂。
1954年3月 ノンサポートで烏帽子岳から薬師岳を超え剱岳まで縦走。
1955年3月 毛勝、猫又山、赤谷山、三ノ窓、剱岳まで縦走(極地法)。
1955年12月 鹿島槍、牛首尾根を下り、十時峡を渡り黒部別山、剱岳を登る計画。鹿島槍で敗退。
1955年8月 池の谷中央ルンゼ登攀、剣尾根登攀。劔沢大滝の上まで探索。
1956年 大学院修了、金沢大学で勤務。
1957年3月 剣尾根(敗退)
1957〜58年 北岳バットレス第一尾根(敗退)

 和田さんが言及した鹿島槍〜十字峡〜黒部別山〜劔の計画は現在でも超がつく野心的な計画です、それも年末年始に…
 この後1958年のチョゴリザ初登頂に続くのですね。なんとも充実した山の記録ですが、当時の装備は貧弱で、情報もほとんどない時代です。その精神力、企画力、実行力は並大抵ではなかったはずです。それも大学の研究を並行するなんて想像できません。
 冒頭に紹介した毎日新聞の記事では「夢を決してあきらめない。必ず実現します」と結んでいました。

 謹んでご冥福をお祈りします。


初登頂―花嫁の峰から天帝の峰へ

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