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三陸鉄道で巡る震災遺構と浄土ヶ浜と龍泉洞 [東京での登山と日常]

 大人の休日倶楽部パスの期間がやってきました。JR東日本管内4日間で15,270円と、とてもお得に旅行することができるので気に入っています。去年は福島へ行って原発事故の影響がまだまだ続いていることを実感したり観光として中尊寺と松島を回ったりしました。今回は被災地を巡る旅の第2弾として、三陸へ行くことにしました。

釜石の街並み

 前日は新花巻で一泊して6時51分発の釜石線に乗り込みました。釜石は震災があった2011年の夏に訪れたことがありますが、駅も駅前も道路も当たり前ですがとてもきれいになっていました。イオンが街の中心地にあってキャラクター「ミッフィー」のカフェまであります。

津波浸水深

 街を歩いているとそこかしこに「東日本大震災津波の高さ」を示す表示があって、今の生活も津波を意識しながらの生活が続いているのだと再認識しました。

釜石祈りのパーク

 さて三陸リアス線に乗って次は鵜住居(うのすまい)駅へ。駅前が「うのすまい・トモス」と称する慰霊施設と震災を学ぶ施設が併設されています。よくテレビなどで「釜石の奇跡」と聞いたことがありましたが、ここのことでした。鵜住居小学校と釜石東中学校の児童生徒600人がその都度よい状況判断をして、とにかく走り続けて全員無事だったというエピソードです。日ごろの防災教育の成果が出たものです。素晴らしいです。

命を守れなかった防災センター

 一方で鵜住居の防災センターは津波の一時避難場所ではないにも関わらず「防災センター」という名前が誤解を招き、数多くの人が避難しにきて160人以上の人が亡くなったということです。津波のあと防災センターには遺体が重なるようにして見つかったとのことでした。防災センターという名称には予算獲得の手だてという側面があり、また津波の一時避難場所でないことは住民に十分周知されていなかったということです。センター跡地にはいま慰霊の施設が作られています。ちょっとした判断の違いが生死を分けてしまうのです。今回の旅で一番震災のすさまじさを感じた話でした。

ベルガーディア鯨山

 駅近くの中華屋さんで昼食をとってから次に浪板海岸駅へ。駅から山側に歩いていきますと「ベルガーディア鯨山」がありました。こちらには「風の電話」という電話ボックスがあって、被災者が震災で死別した家族への思いを伝えられるように開放されています。映画になるなどいろんなメディアを通じて存在を知っていましたが、どういう人が来るのか実態をつかみきれないような気がしていたので訪れることにしたものです。訪れたときはスイスの取材チームが撮影しているところでした。
事前に訪れる旨を電話していましたので、奥様が出迎えてくれ応対してくれました。電話ボックス内は電話線がつながっていない黒電話が一つ。訪問ノートが置かれていて来訪者が思いを書き留めていました。私自身は特定の人というよりは、いろんな人の顔を思い浮かべましたが、何か伝えたい、伝えないといけないものは思い浮かびませんでした。こういう時自分はドライなのかなあと思うことがあります。ただノートの文を読んだりしていると、向き合う時間が必要な方もいらっしゃるのだろうことは肌感覚で納得できました。本を一冊購入することにしたら、風の電話を設置した庭師の佐々木格さんのサインを書いてもらうことになり、ご本人とお話することになりました。鵜住居のことやあすは田老へ行くと話すと、田老の防潮堤について話してくれた。風の電話は世界に100個以上設置され続けているとのこと。それだけ必要とする人がいるのだろう。私もいつか必要となる時があるのだろうか。

 次の電車まで1時間近くあるので浜辺近い道路まで行ったりして時間をつぶしました。浪板海岸は以前は砂浜だったそうだが、震災後地盤沈下で浜辺は消失してしまったそうだ。駅に置かれた来訪ノートには近くの民宿が絶賛されていた。ここは日の出がきれいだろうな。

 そこから宮古までリアス線に乗って旅館にチェックインです。宮古ホテル沢田屋は1泊2食で14300円でした。ビールを飲んで夕食時は日本酒の飲み比べをして部屋に戻ってからまたチューハイと、えらく飲んでしまいました。BSで寅さん映画をやっていたので見てしまった。

 翌日は6時から風呂に入り6時半から朝食のあとチェックアウトして景勝地の浄土ヶ浜へ。朝の7時では公共交通機関はなく、およそ1時間あるいて訪れました。

浄土ヶ浜トゲトゲ

浄土ヶ浜

 目に飛び込んできた瞬間「おーっ」と声を出してしまいました。真っ白な岩がにょきにょきと突き出ています。まさに浄土のような、ともすれば地獄の剣山のような風景です。レストハウスの屋上展望台には外階段から登ることができて俯瞰の写真をとることができました。白い岩の列が並んでいて荘厳な雰囲気です。誰もいないなか興奮して写真をいっぱい撮ってしまった。

 そこから15分ほど歩き、第3駐車場発8時半のバスで宮古駅へ戻ります。多くの人が駅そばを食べていたのが印象的でした。9時23分の列車で新田老へ。田老は度重なる津波で防潮堤の拡張が進みました。海面からの高さは10メートルで、その規模の大きさから「万里の長城」と呼ばれました。

破壊された第3防潮堤

たろう観光ホテル

 しかし東日本大震災で大津波が襲い、拡張した東側と南側に延びる防潮堤が崩されました。東側は特に壊滅的となり、ホテルだけが外観をとどめたということです。上の1枚目は崩れた東側の防潮堤跡、2枚目は「たろう観光ホテル」で現在震災遺構として残されています。

あまちゃん列車

 11時発の列車で次は岩泉小本駅へ。NHK連続テレビ小説の「あまちゃん」は10周年だそうですね。ラッピング列車「三陸元気GoGo号」に乗りました。11時51分の町民バスで龍泉洞へ行きます。龍泉洞は山口の秋芳洞、高知の龍河洞と並ぶ日本三大鍾乳洞だそうです。

龍泉洞1

龍泉洞2

 中に入ってびっくりしたのが地下水の豊富さ、さらに地底湖の存在です。これにはびっくりしました。LEDでライトアップされてとても神秘的に佇んでいます。一番深いので98メートルあるそうで現在も調査が行われているそうです。

龍泉洞の地底湖

 ここのレストハウスでかつて炭鉱夫が好んで食べたというホルモン鍋を食べました(¥1,300)。観光地のおざなり食事でなく、ちゃんとおいしかったです。

ホルモン鍋

 14時37分のバスに乗ってもう一度小本へ戻り15時44分の列車で久慈を目指します。

安家川橋梁からの眺め

 橋梁上で停車したり、連続テレビ小説「あまちゃん」のロケ地となったプラットフォームで小停止したりしてくれましたが、いかんせんもう真っ暗です。宮古は本州最東端だけあって日の入りは東京より20分早い16時8分です。日が高かったら太平洋の眺めは格別でしょう。

 久慈からは八戸までJR八戸線に乗ります。これも真っ暗な中をおよそ2時間です。八戸に着いたら土産物を買おうと考えていたのですが、18時40分くらいに着いたのですがNewDaysしか開いていません。ビールとつまみを買い込み、まだ少し時間があったので駅の外のローソンで青森の日本酒「桃川」を土産として買いました。八戸からは新幹線はやぶさに乗って上野に22時前に到着しました。

20231203岩泉小本のスーパーで見た新巻鮭.jpg

 しんどかったけど、被災地についていろいろ勉強になりました。やっぱり現地を訪れるということは大事だと思います。「釜石の奇跡」などはメディアなどで繰り返し報道されていたと思いますが、訪れるまで鵜住居でのことだとは知りませんでした。
 観光地も浄土ヶ浜と龍泉洞の2つを回れて中身の濃い1泊2日となりました。大人の休日倶楽部パスは普段の山旅とは違う楽しみができて、大満足です。


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