SSブログ
山の本、TVなどメディア関係 ブログトップ
前の10件 | 次の10件

佐伯邦夫さんが亡くなった [山の本、TVなどメディア関係]

 佐伯邦夫さんが亡くなったと「山と渓谷」の最新号に載っていた。目にした時に思わず「えっ!」と声が出てしまった。

 山の本で一番好きだった作家であり、登山家でした。後日時間をかけて追悼したいと思います。ご冥福をお祈りします。


タグ:佐伯邦夫
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:スポーツ

NHK 「小野田さんと、雪男を探した男~鈴木紀夫の冒険と死~」を見た [山の本、TVなどメディア関係]

 鈴木紀夫さんという名は、よく聞いていました。角幡さんの「雪男は向こうからやってきた」でも、鈴木さんの足跡を辿り、雪男にアプローチしていましたし。しかし、そのスピリットというか、人物像はあまり知られていないように思います。その鈴木さんのドキュメント・ドラマです。今年3月に録画していた番組をやっと視聴しました。

 70年安保で運動が疲弊する雰囲気の日本で、鈴木さんのような若者が出て行きたのはすごく自然な気がします。「小野田さんを見つけるのではなく、小野田さんに見つけさせる」のだとか、独特の嗅覚があるのでしょう。小野田さんのニュースは子供ながらに覚えていますが、その詳細がわかっただけでも楽しめました。小野田さんとはその後も交流があったそうです。

 その後の夢が雪男探しになるのですが、経済成長を続ける日本、養わなければならない家族など、自由奔放な鈴木さんはベクトルを一緒にするのは難しかったのでしょう。息苦しい世の中になっているのは間違い無いですもんね。
 消息を絶ったのは1986年。私自身の人生と重なる頃にきっと孤独な闘いをしていたのだなあと感じました。当時の社会情勢も挿入されて、たいへん興味深く見ることができました。

以下は番組見ながらのメモです。

 日本が70年安保闘争で大騒ぎになっているころ。1969年3月に23歳の鈴木さんは、世界中を放浪する旅に出ます。交通手段はほとんどがヒッチハイクか徒歩で50くらいの国をまわったという。1972年12月帰国。スペインのユースホステルで出会った楠本正さんは鈴木さんのことを「規格外の馬鹿」だという。テレビで小野田さん捜索のニュースをみる。鈴木の考えは「小野田に発見してもらう」のだと言う。小野田さん捜索に関しては1950年代から始まっていた。1億円かけた半年で三回の大捜索でもできず。鈴木さんは1974年1月ルバング到着。
 1945年ルバング陥落。41人投降。4人は潜伏を続けた。小野田さんは陸軍中野学校を出ている。宣伝によって戦意を喪失させる、と勉強。残置諜者。フィリピン人31人殺人。4人のうち一人投降、二人射殺。
 小野田さんは鈴木さんがウールの靴下を履いていたので日本人と思ったとのこと。住民から拝借したラジオで万博開催も知っていた。上官命令がないと投稿できないとのことだった。1974年02月26日、日本に伝わり大ニュースとなる。1974年03月05日上官の谷口少佐とジャングルへ。口達す。中の学校では重要なことはメモに残さず口頭で伝えるとのこと。74年03月12日羽田に帰国。小野田さんはマスコミに叩かれたこともあり半年でブラジル移住。
 鈴木さんはたまたま出会った林房雄の娘、京子さんと出会う。国重光広、堀江、植村など当時は冒険家がいた。冒険家になりたかった。1975ネパールへ。八木原国明がダウラギリⅣ峰で見たと言う情報をもとにダウラギリへ。3700m千葉ポイント。1975年11月二回目。4300新千葉ポイントへ。雪崩にあう。1978年に京子さんと結婚。すぐに長男生まれる。ネパールに新婚旅行。四ヶ月ハネムーン。1979年12月喫茶店を表参道にだす。1980年閉店。1983年長女。1986年10月に六回目のネパール。
 ドラマ部分で鈴木は「人間は自分の信じたいものを信じるものなんだ」小野田さん「新しい人生を歩め、冒険家だろ」
 1986年11月消息を絶つ。37歳。長男は8歳と長女は4歳。遺体が発見されたのは新千葉ポイント。なぜ雪崩で危険と知りながら新千葉ポイントに行ったのか?謎で、知人らは雪男を見つけ登ったのではないかと想像する。
 1988年小野田さんはダウラギリへ追悼しに行ったという。
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:スポーツ

BSのシスパーレ北東壁 ここまで来たか!クライマーの映像 [山の本、TVなどメディア関係]

 カラコルムのシスパーレ北東壁の登攀がBS-NHKで放送されたのをご覧の方も多かったと思います。多くの方の感想と同様に、私もこのドキュメンタリーは「すごいな」と思いました。

 なにせ登攀したクライマーが、平出和也さんと中島健郎さんです。平出さんは多くの山岳ドキュメンタリーで同行カメラを担当しています。最近ではミャンマーのカカボラジが記憶に新しいです。あとドローンを使いこなします。一方の中島さんも竹内洋岳さんの「ダウラギリ1峰」でパートナー兼高所カメラマンを担当していました。

 さて今回のシスパーレですが、この二人がウェアラブルカメラで登攀をそのまま記録したのですから、凄まじい緊迫感です。迫り来る雪崩、果てしなく続くかのような氷雪壁のトラバース。そして薄い氷がはったスラブ状岸壁の登攀シーンは、日本のこれまでの山岳ドキュメンタリーではなかったものでした。

 こうなってくるとさすがのNHKの山岳班もかないませんね。動画の機器の発達はすごいです。

 さてドキュメンタリーでは頂上のあとは、ベースキャンプに到着のシーンとなりますが、雑誌「Rock&Snow」によると下降路は初登頂ルートでもある東支稜にとりました。登頂の日はトレースがほとんど消える中コンパスを頼りに暗くなる前にC4に到着。翌朝もホワイトアウトの中、わずかに得られた視界で下降。それでもセラックの絶壁が現れたり、ピークをいくつも超えなければならなかったそうです。もう一泊のあとにようやくベースキャンプに到着したそうです。

 平出さんにとって今回のシスパーレはかつてのパートナー谷口けいさんとの死別に区切りをつけるためのものでした。平出さん自身の登攀人生にとっても大きな区切りになるのかもと思わせる内容でした。クライマーの内面に迫るドキュメンタリーに大満足です。語りが田中哲司さんというのもよかったです。

平出さんのYoutubeがありました↓


■関連エントリ
平出、中島ペアの「シスパーレ」がピオレ・ドールを受賞したのですね


銀嶺の空白地帯に挑む カラコルム・シスパーレ ディレクターズカット版 [Blu-ray]

銀嶺の空白地帯に挑む カラコルム・シスパーレ ディレクターズカット版 [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: NHKエンタープライズ
  • メディア: Blu-ray



nice!(3)  コメント(1) 
共通テーマ:スポーツ

K2登頂からシリア内戦の撮影へ 女性写真家の小松由佳さん [山の本、TVなどメディア関係]

 日本テレビ系列の「NNNドキュメント」の9月24日放送分は小松由佳さんという女性フォトグラファーに密着していました(「サーメル 子連れ写真家とシリア難民」)。

 小松さんはシリア人の夫の間にもうけた「サーメル」という乳飲み子の男の子を抱っこしながら、シリア難民を取材するため、ヨルダンを訪れます。「サーメル」とは暗闇の中の光という意味があるそうです。

 なかなか心を開かないシリア難民たち。小松さんは無理にシャッターを押そうとはしません。何度も足を運んで、相手が心を開くのを待ってようやくカメラにおさめるのです。サーメル君の存在が大きいようです。サーメル君が取材相手との距離感を縮めてくれるのです。

 さて小松由佳さんですが、なんと世界第2の高峰「K2」のサミッターだったということでした。そういえばということで過去の記録を調べてみますとROCK & SNOW 033号(2006)のクロニクルに当時の記録がありました。

 小松さんはOGとして2006年の東海大学K2登山隊に参加。隊は南南東リブから南東稜に合流し、7,900mにC3建設。8/1午前2時半に小松さん(23)と青木達也さん(21)がアタックし16時50分に登頂します。帰途酸素が切れたため8,200mでビバーク(!)したものの3日にはBCに戻ることができたそうです。当時の記録としてK2の女性登頂は8人目。日本女性としては初めて。南南東リブから女性が登頂したのも初。青木さんは最年少登頂記録を更新しました。

 すごいですね、K2に登るなんて。しかも8,200mでビバークするなんて。
 しかし小松さんは登山家としてではなく写真家としての道を選びました。番組の中で小松さんは「登ることよりそこに住む人々に魅せられていった」とのことでした。

 頭に大きな傷を負いながらも、故郷のことを思うシリア男性が番組でとりあげられていました。傷にクローズアップせず帽子をかぶった男性のフルショットを撮影する小松さん。

 どうか無事に取材活動を続けられますように。小松さんの挑戦が続けられますように。小松さんとサーメル君母子が元気でいてくれますように。

 そしてシリアの人々にいつか平和が訪れますように…




K2 苦難の道程(みちのり)―東海大学 K2登山隊登頂成功までの軌跡

K2 苦難の道程(みちのり)―東海大学 K2登山隊登頂成功までの軌跡

  • 作者: 出利葉 義次
  • 出版社/メーカー: 東海大学出版会
  • 発売日: 2008/07/01
  • メディア: 単行本



nice!(2)  コメント(3) 
共通テーマ:スポーツ

「冬のデナリ」を読んだ。時速300キロの強風の世界からの生還… [山の本、TVなどメディア関係]


冬のデナリ (福音館文庫 ノンフィクション)

冬のデナリ (福音館文庫 ノンフィクション)

  • 作者: 西前 四郎
  • 出版社/メーカー: 福音館書店
  • 発売日: 2004/02/20
  • メディア: 単行本



 「冬のデナリ」を読みました。デナリはアラスカにそびえる6,194mの山。マッキンリーと呼ぶ方が通りが良いでしょうね。恥ずかしながら冬季初登が1967年で、そのパーティーが日本人を含む国際隊だったことを初めて知りました。

 作者の西前さんはその国際隊のメンバーでした。タクティクスを考える参謀役として描かれています。仲間がクレバスに落ちて死亡する事故にあいながら登山を続行。ようやく最終キャンプに到達し、天気の周期がよくなるのを待ちます。登頂とその後の天候の悪化。国際隊だけに感情のもつれも出てきます。生き延びるための最善の道とは…心理的な圧迫がこちらまで伝わってきます。

 この登山で印象的なのは「イグルー」「雪洞」の積極的な使用です。逆にイグルーと雪洞がなければ、寒さと強風を防げないのです。植村直己さんも雪洞を使用していました。

 植村さんと親交のあった元テレビ朝日の大谷映芳氏らが、デナリの5,715m地点に設置した気象観測機は「最低気温マイナス70度、最大風速毎秒82.5m」を記録したそうです。この風速は時速300キロに相当するそうです。(文藝別冊「植村直己 夢・冒険・ロマン 河出書房新社)  

 作者の西前さんは、社会人山岳会の関西登高会メンバーで、大阪の公立高校の先生だったそうです。少年文庫に収められているためか、わかりやすい文章が意識されていますが、作者が登山家だけに山岳の監修は安心して読めます。また全体を通してリアルで特に後半のサバイバル部分は、逆に登山を知らない人(少年、少女)にどこまでわかるだろうか、と心配になりました。

 登山から30年を経て、かつてのメンバーを訪ね歩き「あの登山とは…」と思考を重ねる作者。このパートはかつて登山に熱い想いを持った人なら、誰もが同感するのではないでしょうか。

 西前さんはようやく書き上げた本の出版を前にして亡くなられたとのこと。登山にかけた青春とその後の人生。西前さんという人はどんな方だったのでしょうか。生きていれば話を聞いてみたかったです。

nice!(2)  コメント(3) 
共通テーマ:スポーツ

桑原武夫さん「登山の文化史」器の大きさを感じました [山の本、TVなどメディア関係]

 久しぶりに桑原武夫さんの名前がテレビのニュースに出ていました。が、信じられない話でした。桑原さんの蔵書1万冊を寄贈を受けた京都市が無断で廃棄していたというのです。

京都市が文学者の桑原武夫さんから寄贈された蔵書1万冊を全て無断で廃棄していたことが分かりました。フランス文学の研究などで業績を残し文化勲章も受章した元・京都大学名誉教授の桑原武夫さんは、亡くなった際にその蔵書約1万冊を親族が京都市に寄贈しました。

【記者リポート】「寄贈された蔵書はいくつかの施設を転々とした後、最終的に伏見区にあるこの図書館の倉庫に保管されていました」中には、今は手に入らない洋書なども含まれていましたが、おととし、図書館の改修工事の際に、本は不要だと職員が判断し親族に無断で全て廃棄されたことが分かりました。ことしになって本に関する市民からの問い合わせがあり事態が発覚しました。親族は「そういうことが起こるのか、と信じられない気持ちです」と話しています。(関西テレビ)


 寄贈の図書を保管、管理するのも難しいだろうなとは思いますが、寄贈を受けた以上は職員の判断ではなく、もっと違うレベルで判断して欲しかったなあと思います。「もしかしたら桑原さんが本に線を入れたり、書き込みをしていたら」と考えると、勿体無いなあと思います。

 世間的にも大きな話題となったこのニュースですが、私にとっての桑原さんといえば登山者としての桑原さんです。京都三高(京都大学)の山岳部として、また京都大学山岳会のヒマラヤ・チョゴリザの登山隊の隊長として、そして「登山の文化史」著者として。

 「登山の文化史」は、登山は文化的なものであるとの表題作や、昭和初期の登山の様子が落ち着いた深い文体で描かれています。西堀栄三郎、四手井綱彦さんの名前も。人夫として宇治長次郎の名前も見られます。

 「登山の文化史」は、大学時代のゼミの恩師が「読んで欲しい」と紹介してくれた本です。どうして恩師がこの本を勧めてくれたのか?私がクラブの運営に嫌気がさしていた頃だったのかもしれません…本を読んで、何がどう変わったわけでもないのですが、気分が広くなったことを思い出します。桑原さんの器の大きさは伝わってきたと思います。助けられました。

 もう一度読んでみようと思っています。


nice!(4)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

2万5千分の一地図の販売が激減…スマホとGPSのせいですね [山の本、TVなどメディア関係]

 先日、日本経済新聞を読んでいますと、共同通信が配信した次の記事がありました。国土地理院発行の紙地図の販売が、2016年度は47万2951枚だったこと。これは最高だった81年度の約910万枚の約20分の一に当たるそうです。

(販売に当たる日本地図)センターの田代博常務理事は「データのデジタル化が進み、パソコンやスマホで簡単に地図を検索できるようになったことや、学校で本物の地形図を使う先生が少なくなったことも大きい」と分析する。

16年度の実績をみると、紙地図販売の8割を占める2万5千分の1で最も販売枚数が多かったのは北アルプス「穂高岳」の1921枚で、前年度よりほぼ半減。「武蔵御岳」1733枚、「京都東北部」1667枚など人気観光地が続く。例年「穂高岳」に次いで2位だった「槍ケ岳」は29位と順位を落とした。 5万分の1のトップは大阪府「岸和田」の1847枚(全体でも2位)。岸和田市が中学1年の社会科の副教材として生徒全員分を毎年購入しているのが貢献している。 田代さんは「一覧性に優れ、災害時などバッテリーを気にせず使える紙地図の役割は依然として大きい。販売落ち込みで入手困難になっては残念だ」と話している。〔共同〕


 先日、スマホアプリの効用をブログに記したばかりなので、こういう記事を見ると「申し訳ない」と思ってしまいます。実際買わなくなりました…

 今でも大きな山に行くときは2万5千分の一の地図を持って行くのですが、それも国土地理院のサイトで地理院地図をプリントアウトしがちです。日帰りなどスマホのバッテリーがもちそうな時は、買わないだろうなと思います。

 PCやスマホで一昔前より、地図に触れる機会は格段に増えたのは間違いないのですけども…これはやはりGPSで自分の位置がわかるようになり、「地図を読む」必要がなくなってきたからではないでしょうか。

 2万5千分の一でわずかな凹凸を地図上で読み取ることができると、山が面白くなり、自信もついたものです。

 学校で地形図は一枚手渡されて、折りたたみ方も含めて教えられた記憶があります。そんな先生もいなくなってきたのでしょうね。そういえば地理の先生は、山岳部の顧問でした(^ ^)。

nice!(3)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

YAMAPという山アプリ GPSってすごい… [山の本、TVなどメディア関係]

 これまで私はガラケー+タブレットを使っていました。山に行く時はタブレットは重いので、ガラケーだけを持ち歩いていました。

 しかし息子らのiPhoneの契約が2年となるのに機に、大手キャリアから格安SIMに契約を変更することにします。私のタブレットもそれに伴い廃止し、ガラケーを格安SIMのスマホにしました。格安SIMといっても一度昼休み時につながりにくくなりましたが、それ以外は良好です。というより値段を考えれば十分です。

 さて普段からスマホを持ち歩くようになると、山のアプリを入れてみたくなりました。そこでインストールしたのがYAMAPという山アプリです。私は他のアプリを試したことがないので、この文は比較ではありません。あくまで初心者の感想ということでお願いします。

 YAMAPの感想は「これがあれば記録メモを取る必要がない」ということです。

①まず、家で必要とする地図をダウンロードしておきます。これでオフラインでも使えるようになります。
②電話もメールもできなくなりますが、現地で機内モードにしてバッテリーの消費を抑制します。GPSは生きています。
③歩き始めで「スタート」ボタンを押します。すると現在位置が地図上で点滅します。
④途中スマホで写真を撮ります。GPSにより今どこにいるかもすぐにわかります。
⑤歩き終わりで終了します。

 終了すると、この記録を公開するかどうか、写真をアップロードするかどうかなど聞かれますが、それは人それぞれです。

 これまで使用したのは、京都北山・雲取山比良・釈迦岳の2回ですが、何時何分にどこにいたか、どこで写真をとったか、どれぐらいの距離を歩いたのかなどがわかります。

 ひとえにGPSの恩恵に預かっているといえそうです。実際のところ、GPSでの現在地確認は一度使い出すと手放せなくなりそうです。

 スマホによって消費行動が大きく変わっているのは普段から実感としてありました。GPSに関していうとカーナビが売れなくなったりしているのでしょうが、山のGPSの売れ行きもめちゃくちゃ影響を受けているのでしょうね。これから体力や気力が落ちる私なんぞは、スマホでサポートされるのであればそれはそれで結構なことだという気がします。

 一方で、一般的な話としてこうしたスマホアプリは「この山を登る人はこういう服装や装備を使っている」みたいなことがデータになって、消費行動の分析や広告に使われることもあるのではないかと思います。

 先日警察がGPSを使う時には裁判所の令状を必要とする旨、最高裁が判決を言い渡しました。非常に便利なGPSですが、こういうものって使い方を誤ると、非常に怖いものだなあとも思います。

 個人的にはこの便利さは捨てがたいです。これからも使い続けますが、データを公開し続けるかどうかはもう少し考えたいと思います。


nice!(4)  コメント(5)  トラックバック(1) 
共通テーマ:スポーツ

岩と雪ベストセレクション1958-1995 この企画の実現に拍手したい [山の本、TVなどメディア関係]


『岩と雪』 Best Selection

『岩と雪』 Best Selection

  • 作者: 池田 常道
  • 出版社/メーカー: 山と渓谷社
  • 発売日: 2017/01/20
  • メディア: 単行本



 出版が去年発表されて以来、どんなものになるか興味津々でした。

 山と渓谷社が出版していた「岩と雪」は1958年に創刊。1995年の169巻を最後に休刊しました。本格的山岳雑誌を標榜しているだけあって海外の記録が豊富で、日本のクライミングシーンに与えた影響は大きかったと思います。なんといっても創刊の1958年は8,000m峰のうちガッシャーブルムI峰とダウラギリ、シシャパンマが未踏峰で、日本ではRCCIIが立ち上がった年でした。

 内容は池田常道さんが選んだ41編が収録されました。原本を複写したもので、多少読みづらいところもありますが、当時の熱気がそのまま伝わってくるかのようです。

 最初の頃は編集の方針もあって、評論が多いですね。本多勝一さんの「パイオニア・ワークとは何か」は京都大学探検部時代の学生だった頃の評論です。早熟ですよね、当時の学生は。

 上田哲農さんの文章は今の時代でも色褪せないクライマーへの深い洞察を感じさせます。柏瀬祐之さんの「アルピニズムは帰って来た」は何事にもとらわれない登山の創造性を説いていて私もかなり影響を受けました。

 また戸田直樹さんの文が多いです。ジョン・バーカーが表紙となった72号が決定的だったのでしょう。ヨセミテのフリー・クライミングを紹介、実践する記事がいかにその後の日本の登攀を変えたのか象徴するようです。

 リアルタイムで岩と雪を買って覚えているのは山野井泰史さんの「ビッグウォールが待っている」です。コズミック・デブリ(5.13a)のビレイヤーは平山裕示さんというビッグでフレッシュなペアでした。先日亡くなった吉田和正さんのインタビュー(164号)も収録されています。北山真さんの追悼コラムは短いですが、鳥肌が立ちました。

 あとがきのページで書いていましたが、日本の登攀は70〜80年代に大きな変革が起こり、それぞれに分野でおだやかな発展が続いている、というのは当たっているなあと思います。

 とても一度には読みきれません。いずれにしてもこの企画を実現させた山と渓谷社には敬意を払いたいと思います。素晴らしいです。現代のクライマーが過去の登山家たちから学んだり感じるところもあるでしょう。またそうあってほしいと思います。

 ちょっとずつ読んでいきたいと思っています。しかし、どれだけ売れるのだろうか…

【以下、目次より】
編集室(川崎隆章)
ヒマラヤ登山の動向と将来(山崎安治)
パイオニア・ワークとは何か(本多勝一)
スーパーアルピニズム試論(吉田二郎)
日本のアルピニズムの行方(上田晢農)
コラム1 行き詰まりを予感した時代
ヨーロッパアルプスの冬季登攀(小西政継)
パイオニア・ワーク雑感(江上康)
コラム2 日本人の海外登山
アルピニズム未来論(二宮洋太郎)
ヒマラヤ鉄の時代によせてーRCCII十年の回想(奥山章)
新たな困難を求めて(松本龍雄)
座談会 海外登山・現状と問題点(中島寛、原真、安間荘)
高さと困難が登山の目的なのか(岩崎元郎)
日本の岩登りは限界を迎えたのか(斎藤一男)
国内登攀における今後の課題(古川純一)
登攀における主体性の確率(青木寿)
山ー桃水と失墜(遠藤甲太)
アルピニズムは帰って来た(柏瀬祐之)
登山と「神話」(高田直樹)
誰も書かなかったヨセミテ(吉野正寿、林泰英)
コラム3 ヨセミテの風1 ビッグウォールへのあこがれ
100メートルの壁と1000メートルの壁(坂下直枝)
奥鐘山西壁フリー化の試みーその遊戯と論理(山本譲)
コラム4 歴史を動かした表紙写真
ジョン・バーカーの華麗なボルダリング(戸田直樹)
ヨセミテとコロラドの体験(戸田直樹)
日本人のヒマラヤ登山とその背景(本田靖春)
高所登山のルネッサンス(原真)
コラム5 ヨセミテの風2 教訓を生かす
クン西壁 7000メートルの岩壁登攀(近藤国彦)
コラム6 来日クライマーの横顔
日英交流岩登り 日本の岩場をめぐって(デニス・グレイ)
烏帽子奥壁大氷柱(勝野惇司、菊池敏之)
コラム7 フリークライミング定着の足跡
衝立岩フリー宣言(池田功)
飛翔 瑞牆山十一面岩左岩稜末端壁をめぐるモノローグ1(戸田直樹)
飛翔 瑞牆山十一面岩左岩稜末端壁をめぐるモノローグ2(戸田直樹)
飛翔 瑞牆山十一面岩左岩稜末端壁をめぐるモノローグ3(戸田直樹)
高峰登山 現代登山批判にかえて(和田城志)
ビッグ・ウォールが待っている(山野井泰史)
極限のソロ バフィン島「トール西壁」単独登攀(山野井泰史)
コラム8 山野井泰史という男
インタビュー 鈴木英貴
コラム9 フリークライミングの申し子 平山裕示
インタビュー 平山裕示
EL CAPITAN 垂直のクルーズ(保科雅則)
コラム10 All About 「岩と雪」
アルピニズム33年史(池田常道)
コラム11 アルピニズムの過去・現在・未来
インタビュー 吉田和正
コラム12 追悼 吉田和正
日本ボルダリング紀行 石の人 草野俊逹
コラム13 あの人が生きていたら

nice!(5)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

映画「メルー」ジミー・チン監督のサイン入りパンフ届く [山の本、TVなどメディア関係]

ジミー・チン監督のサイン入りパンフレット

 ある日、家に帰ると大きな茶色い封筒が机に置かれていました。差出人は「山と渓谷社」。いそいで開けると映画「メルー」のパンフレット。監督のジミー・チンさんのサイン入りです。

 たぶん酔った勢いで応募したのでしょう(^ ^)すっかり応募したことを忘れていたのですが、なんにせよ当たることはうれしいものです。中身を見るとこれがまた豪華な執筆陣です。

 2006年にメルー中央峰シャークスフィン第2登を果たした馬目弘仁さん、黒田誠さん、花谷泰広さん。それに山野井泰史さん、平山ユージさん、安間佐千さんも特別寄稿しています。映画の配給は「ピクチャーズ・デプト」というところなのですが、登山をわかっている人がパンフレットを作っているなあと感心しました。

 実はまだ映画を見ていなかったので慌てて仕事終わりで見に行きました。



 ガンゴトリ山群のメルーに挑む3人のクライマーの姿。リーダーのコンラッド・アンカーはマロリーの遺体を見つけた人物として有名です。

 クライミングシーンだけでなく、描かれているのは実生活とかかわりながらの登山。家族とのかかわりながらの登山です。様々なトラブルが起きるのですがそれでも登山を続けます。

 たぶん登山されていない方は、なぜそこまでして登るのだろうと思うのでしょうが「生きていることを実感しに山へ行く」そんなことを思わす内容でした。

 コンラッド・アンカーの登頂後の次の言葉が印象的です
 「もう行かなくてすむ」

 まだ細々と上映が続いているようです。登山好きな方は是非どうぞ。それにしても「クスクス」ってなんだ?美味しいのか?まずいのか?

nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ
前の10件 | 次の10件 山の本、TVなどメディア関係 ブログトップ